ひとこと

ひとこと

玄奘三蔵(602年から664年、但し、生年については、598年説と600年説もあり)。

彼が生まれた頃、生誕地は隋の領域でしたが、618年からは唐。玄奘は、629年、唐の国禁を犯して迄インドに向けて出発。

天山オアシス地帯の諸国を抜け、ヒンドゥクシュを超え、インド・ビハールのナーランダに到着。

ナーランダ大学で学僧として5年、教師として1年を過ごし、インド各地を回り、唐の長安に戻ったのは、645年との事。

帰国後、玄奘は、唐代中国で、広まり始めていた仏教をより正しく理解し、人々に広めるために、今迄以上に、サンスクリット語の原典に忠実な仏典の翻訳に努めました。

以前から存在した、漢訳仏典に、造語も含め、新しい漢語に訳しましたので、以前の翻訳を旧訳と呼び、新たに訳された物を新訳、と呼ぶそうです。

この他にも、彼は大唐西域記を表しています。

彼の漢訳仏典に含まれる唯識の考えは、日本にも大きな影響を与えました。

この時代のインドと中国との間で実現された真剣な仏教・哲理を求める深める旅は、文化交流の本質的意義を表していると思います。

当時の文化交流のあり方と、現代の文化交流のあり方の違いは何であるのか、いろいろ考えさせられます。

義浄

南海寄帰内法伝

義浄(Yijing; 生存期間については、644年から712年説と635年から713年の説あり)は、唐の僧で671年37歳の時、中国から海路で、南方に向かい、インドネシアに滞在した後、インドに向かいました。

海路帰国したのは69、その後、洛陽にて、約25年間、仏典のサンスクリット語漢訳を、没するする迄、続けたと、言われています。

彼の代表的な仏典訳以外の書物として、南海寄帰内法伝があり、当時のインド・ナーランダでの体験記録であり、重要な歴史的資料とされています。

インドネシアには、シュリーヴィジャヤ王国があり、古いマレー語やサンスクリット語を学べる場所であった様です。

又、当時の南インドとインドネシアの歴史的関係も深かった様です。

西域行と言う言葉があり、仏教の高い理念を、インドから中国へ伝えるため、多くの僧侶が、インドと中国の間を行き来しました。

政治色、商売っ気抜きの、理想追求の旅があったのだと思います。

現代では実現が難しい理想的な旅の形態であった、と思います。

中国製アプリ禁止の動きがよく纏まっていると思います。

最近のインドを取り巻く世界情勢について、コンパクトにまとまっていると思います。

インド軍の主力装備。

鳩摩羅什(クマラージュ、或いはKumarajva)は、現在の中国新疆地区に当たる場所にあった亀茲(キジ)国の王族の子供として生まれました。

344年から413年まで生きたと言う説と、350年から409年まで生きたと言う説があります。

父親はインド・カシミールのバラモンであった様ですが、後に仏教徒になった様です。

356年、母と出家、360年、カシミールに留学。

インドで大乗仏教を奉じ、主に、龍樹の中観(ちゅうがん)思想を深く学んだそうです。

一度、亀茲国を経て、後秦の都、長安で、厖大なサンスクリット語経典を漢訳、漢訳仏典は、日本にも影響を与えた、と言われています。

この様に、当時は、インドと中国の間には、精神性の高い純粋な文化交流が行われていました。

ダライ・ラマのインド亡命から現代に至る迄のチベット・中共・インドの関係、流動化していながらも、一つの方向性を示す兆しがあるのか。

コロナ影響下で右往左往する環境設定の中での人間の行動パターンに関するビック・データと、パターンから外れる人間の分類に関する壮大な実験が行われている様に感じます。

. 戦争中、日本は、高性能なジェット・エンジンを開発していましたが、戦争に負けた後、飛行機の研究開発は、アメリカによって長い間、禁止されましたので、エンジンの開発に遅れをとった分ですが、近年のジェット・エンジンの開発は、大変優れたものである様ですね。

日本の神様の80%以上がインド由来と言う説明、説得力がありますね。

法顕(337年-422年)は、・東晉(317年-420年)時代の人で、中国から、ホータンを経由しパミール高原を踏破、インド・カシミールに至りパンジャーブ、ガンジス流域、更に、スリランカに渡り、海路で中国に戻った人です。

「志行明敏」と言われた僧侶として、中国に伝わり中国語に訳された仏典の正確な解釈・確認を求め、インドへ渡りました。

グプタ朝下のパータリプトラで、仏教の繁栄を目の当たりにした事は間違いありません。彼の著した「仏国記」は、当時のインドの宗教・政治などを伝えている重要な文献です。

しかし、残念ながら、インドではヒンドゥー教が再興、北方の遊牧民エフタルの侵入もあり、仏教は、衰えて行きます。

中国には、その昔から、訳業僧と言う言葉もあり、原点の仏典を、正しく理解しようとする、情熱があったようです。

カニシカ王は、紀元後78年から144年頃の人と言われますが、諸説あり、はっきりとは解らず、ホータンで生まれたと言う説、別の場所で生まれたと言う説もありますが、中央アジアと深いつながりがあった人物の様です。

今のパキスタンとアフガニスタンの境目のパキスタン側のペルシャプラを拠点とし、北インドからインド中部まで次々と領土を拡張しました。

インドのマトゥラーを副都とし、当時、広まり始めた大乗仏教を保護。第4回仏典結集(けつじゅう)を推進したと言われます。

釈迦は、書いた物を残さず、口伝に基づき弟子たちが書き記したため、釈迦のオリジナルな言説から教えの内容が離れてしまった部分もある様で、歴史的に、何度か結集(けつじゅう)が行われています。

仏教を奉じ、中央アジアからインドまで統治をしようとした王がいた事、更に、カシミールを含む地域で、仏教の研究が進んだ事は、大変興味深い点です。

唐の僧、玄奘も仏教研究、仏典収集のため、まずはカシミールを目指した、と言われています。

これは宣伝のための短い解説ですが、よく纏まっていると思いませんか。

日本は、結果的に、社会主義や共産主義革命を経た国家形成をしていませんが、過去には、その危険も多々あった分です。

労働者だけでなく、かなりのインテリ迄、影響を受けて来ましたね。

マルクスの思想体系がおかしい、と言うのではなく、この思想をレーニン達ボルシェビキが巧みに利用した、と言えるのではないでしょうか。

そして、レーニンを引き継いだスターリンの大粛清時代に突入する分ですね。

現代のインドには、マルクス主義共産党と、毛沢東主義共産党の二派があります。

現代インドの民主形態の中で、他の政党と、どの様に共存して生き残って行くのか、いずれ滅びるのか、面白いテーマだと思います。

日本の潜在的な強さの原因を上手に描いています。草々

メディアに大人としての分別がない、と言う状況説明は、的確であり、これから急激に変わるとは思い難いですね。

最近は、文学は公に論じられる気配はなさそうですね。

草々

真に偉大な人でした。

上記七項目は、日本人が戦後どんどん忘れて行った事ですね。

この言葉の意味に、われわれは、行動を通して、実体・実態を取り戻す事が、義務ではないかと。

事実に向き合った、冷静な客観性を持って、日本を評価してくれている様です。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」、昔は関心を持って読みました。

しかし、日本文化の分析は、実は日本人をどの様に、米国の権威に対して従わせるか、と言う所に主意があったのですね。

今更ながら、当時の読み方の浅薄さを感じました。

日本の中の反日構造の一端であったのですね。

そうか、かつて、オーストリア製のベーゼンドルファー (Bösendorfer) 手作りピアノを愛した人々が大勢いたのですね。

1925年創業、ヤマハが2018年に吸収。

いやー、知りませんでした。

オスカー・ピーターソンも好んで弾いたそうですね。

息をつく間もない展開、中盤で現れる右手拳のげんこつ奏法、活力の中に共感する自分。

悪魔とはかくも人の心を開くのか、イタリア・バロック。

ポーランドの人ワンダ・ランドロフスカは、最初はピアノ、そしてチェンバロの演奏者となりました。

第二次世界大戦の余波を受け、アメリカに亡命。

バッハのGoldberg Variationen の中の一曲。聴く者を、徐々に次元の深みへと嵌り込ませて行きます。

与えられた主題導入モチーフ(Leitmotiv)が、複数の旋律の組み合わさる連なりの中で、脳に深々と沁み込んでいく様な。

What’s the use of crying

You’ll find that life is stillworth while

If you’ll just smile.

Light up your face with gladness.

心が沸き立っても、リズムに合わない無精さ故に、思い通り動かない自分。

身体がリズムに合わせて自然に動く人々、本当に、羨ましいです。

特定技能研修制度について言及がありました。

柔和な表情と判り易い言葉で表現をされていますが、中村先生は古典仏典をサンスクリット語を含む当時の言葉で、厳密に解釈を積み重ねられた、大変な人物です。

寛容の乏しい現代の文明の衝突は、果たして、新たに文明を修復出来るのか。

釈迦が解いた人間の因るべき真理とは、何であるのか。

我々の言葉による他者への語り掛けは、真に寛容なのか。

インドの思想・宗教を知る上で、謙虚に学ぶべきものが詰まっている、と思います。

千々に乱れる想念が指先に集中しても、混線しない演奏ぶり。

何の脈絡もないのですが、突然、良いなぁと思いました。

おー再開、チキンビリヤニ、最高の味、砂漠飛びバッタの来る前に。

醤油味モモ載せトースト

パニール・トースト醤油を垂らし。

結構美味しいです。

少しのわさびがあると、きっともっと良い味が出ると思います。

さらに、マサラ・オムレツやブジアを、包む様に載せても良いのでは。

キャベツ煮ケバブー添え

出汁味キャベツ煮ケバブー添え醤油風味。

Soy Chaat Masala curry ramen.

Soy Chaat Masala curry ramen

突然、キッシンジャーと言う人物に興味が湧いてきました。

いいか悪いかは別として、現在の政治や経済の大枠を作った人ではないかと、だからこそ、彼はその限界を知っていて、中国の軍事的独走を、危険視して始めているのではないか、と思う様になりました。

彼は、もともと親中派であり、田中角栄を毛嫌いした人ですね。

彼が、ユダヤ人である、と言う事と、彼が作ろうとした世界の仕組み、と言うものがどう関連するのかは、現時点では分かりませんが。

二人のボースがいて、インドを支配する英国植民者と闘っていました。

それぞれのボースは、日本に深い思い入れがあり、日本と言う国を深く知り、周囲の日本人とともに、インドの独立を望んでおりました。

当時の多くの日本の政治家、軍人も、インドを東の方から解放しようとしましたが、残念ながら、日本の敗戦により、夢は潰え去ってしまいましたが、志の篤いボース達を受け入れた日本とインドの結びつきは重要な歴史であり、今でも、心の交流の籠もったエピソードが残っています。

このエッセイは、インドの若い人にも読んでいただきたく、敢えて、英語で書き、ANCの編集長に手直しを入れて戴きました。

英文は、下記のAsian Community News のホームページをご覧下さい。

https://www.asiancommunitynews.com/the-tale-of-two-boses-their-japanese-connect-and-authentic-indian-curry/

日本語の書籍が出ております。是非、ご一読戴ければと思います。

https://bookmeter.com/books/452668

ガンディーが強い反植民地的立場から、外国のものを排斥しようとする極端な国粋主義に走り出そうとしていた時、友人としてタゴールは、ガンディーに対して助言を与え続けました。

インドが、極端な国家主義に陥らなかったのは、ガンディーがタゴールのより視野の広い世界観に基づく国家のあり方を受け入れたからだと思います。

第三の男。

インドのお菓子

これは、はっきり言って無茶苦茶美味いです。

キャベツ・ポハ

キャベツ・ポハ

インドで自炊

インスタント・ダールマカー二豆乳かけ穀物パン添え。

インドで自炊

インド即席麺、ハム乗せ。

多分、原価は百ルピー以下。

結構美味しいです。

お摘み細切り出汁味キャベツラーメン

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6月のインド経済・ニュースのコメントです。