ラール・キラ(赤い城)の北東端サリムガール砦の今昔

ラール・キラ(赤い城)の北東端サリムガール砦の今昔

ムガール皇帝フマユーンのデリー再入場を阻止するためスール朝第二代イスラム・シャー・スリ(治世1545-1554)時代に建てられた城塞の中にあるモスクです。モスクの由来は不明。

その後、ムガール帝国の時代、アウラングゼーブはこの地を罪人収容所として使用。1857年インド大反乱(セポイの乱)の際には損傷を蒙る。

第二次大戦後からインド独立までの間に、英領インドの法律に基づき、インド国外でインド独立運動を推進した戦士の一部が、この地に繋がれ、ラール・キラにて軍事裁判を受けました。

城塞内には、インド古典神話マハーバーラタ時代の陶片が発掘されています。歴史の激しい潮を感じる場所です。

崩れかけたモスクが、あっけらかんと立っています。少しずつ崩れながらも、歴史の流れを見て来たのだと、思います。これからの人間の歴史を、いつまで眺め続けるのでしょうか。

ラール・キラ(赤い城)のラホール門

デリー、ラール・キラ(赤い城)のラホール門。

ムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンは1638年にアグラからデリーへ遷都。1639年から1648年にかけて築城されたラール・キラの西門であり、門はラホール方面を向いています。

1857年のインド大反乱(セポイの乱)の際には戦場となりました。

1947年のインド独立後、毎年ここで歴代首相が独立記念の演説を行っています。独立国インドの威信を表わしていると思います。

当時、インド・パキスタン・アフガニスタンには、近代の国境線や国境を引くと言う概念はなく、山岳地帯も、自由に移動した人々が、大勢いたわけですね。

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