ムスリム、いろいろな形

ムスリム、いろいろな形

スーフィー

清楚な佇まいのスフィー寺院。

デリーのイスラム集落ニザムディン・アウリアの奥まった一角にあります。

ここでは、スーフィーの音楽教室と、イスラム文字の書道教室が開かれており、子供たちが師匠の指導のもと、静かに芸術の世界に親しんでいる様に感じました。

ジャーマー・マスジド

ラマダーン明け、そぼ降る雨中夕暮れ時のジャーマー・マスジド。

中庭では25,000人が一度に礼拝出来ます。

インドには、イスラム、神仏キリスト教、真摯な祈りのために跪く人々の声が満ちています。

Baba Kharak Singh Margのモスク

デリー中心のBaba Kharak Singh Margにある穏やかで静かなモスク内。

街中でこの静謐さ。

インドでは宗教に関係なく、多くの祈る人の姿に遭遇します。

モスクの建物に入り、後ろ手に扉を閉めた瞬間、周りの喧騒から遮断された静寂な空間に迷い込んだ様な感覚に囚われます。

日常生活から遮断された静けさが必要です。

イスラム学校の先生たちのお墓

中世インド・チュルク系トゥグラク王朝時代 (1320-1414) のイスラム学校の先生たちのお墓と言われています。

酷暑の日差しの中、丸屋根の下は一瞬の灼熱からの逃げ場。

生徒は先生のお墓ドームの下に座って勉強をしたと言われています。

師を敬い、その基に集って、学びを深める若者がいたのですね。

先生も、気が抜けませんね。

師からの学びは、コンピューターによるコンテンツ化された無味乾燥とした意味内容の固まりとは違うと思います。

ムガール帝国第六代皇帝アウラングゼーブ(1618-1707)は帝国の覇権版図を拡大し、戦いに明け暮れした人でした。

晩年は簡素な墓を彼が尊敬したスーフィーの墓の近くに作ることを望み、そうなりました。

後年、英国人貴族でインド副王となったカーゾン卿(1859-1925)が墓の周りに大理石を埋めさせたそうです。

カーゾンはアウラングゼーブの墓が余りに簡素であったため、少し華美にした様です。

イスラムの権威ある学校Darul Uloom Deoband

インド、デリーより北部のUP州Deobandにあるイスラムの権威ある学校Darul Uloom Deoband。

中を見せてくれるか緊張して門衛に、アラビア語の挨拶「アッサラム・アレイコム」と声をかけると厳しかった顔が、破顔一笑、何も聞かずに、扉を開けてくれました。

学生たちは明るく、皆立ち止まって、にこにこ笑って挨拶をしてくれました。

当方も気持ちが晴れ晴れと致しました。

広大なキャンパスで、寄宿制になっております。

ムスリムの宗教的権威ある学校。

生徒たちは皆明るく、礼儀正しかった。

フルダーバードは「聖者の谷」と呼ばれイスラム神秘主義者であるスーフィーのお墓がたくさんあります。

Zainuddin Shiraziは代表的なスーフィーで、8世紀にイランからメッカを経てインドへ来ました。

スーフィー達がインドを目指したのは何故だろう、と爆然と思いを馳せます。

Bagh-I-Alam ka Gumbad

小雨のデリー、ディア・パークに静かに佇むBagh-I-Alam ka Gumbad。

建てられたのは1501年。

大きな鹿公園の中にあり、周りに建物がなく、この建物は屹立の感あり。

インド中世には、まだ、高い建物が密集してはいなかった、と思われ、北方から来た激しく移動を好む異教徒は、この地に何らかの印象が残るプレゼンスを残したかった、のかと思われます。

Begampurモスク、冬の日の日溜りの静謐。

ジャハンパナーと呼ばれる14世紀に造られたデリーの城塞都市にあるモスクで、イラン人建築家のデザインによるものと言われています。

荒松雄先生の推計によれば、建築年代は1343年頃、他説によれば1351年頃、とされています。

トルコ系トゥグルク王朝がインドの地で、どんな街造りをしようとしたのか今はただ、想像するのみです。

様々な建築物は残り、輝き、また、陰影のある多様な主張を今でも投影しています。

現代においても、目に映る光景は、見る者を圧倒しますが、しかしまた、当時の政権交代の激しさも、時代の流れの中での事実であります。

Jami Masjit、14世紀のモスク

Jami Masjit、14世紀のモスク。

かつて壮大で華麗ですらあったと思われるこのモスクを、14世紀末、北方よりの侵入者チムールが訪問、感銘を受け、ここより作業者を連れ帰り、サマルカンドに同型のモスクを造らせたと言われています。

ドーム屋根のないモスクではありますが、時間帯によっては、西側を向いて、整然と並んだ多くの熱心に祈る人々の姿が見える事があります。

アウリア・モスク

喧噪のメラウリ通りに現れる可愛らしいアウリア・モスク。

3名の高名なスーフィーが祭られているとの事です。トルコ系スルタン、イルトゥトミシュ(在位1211-36)の頃創建されたと言われています。

この頃からインドの政治権力者のイスラム色が強くなります。

飾りっ気のない清楚なモスクで、建物の外観を見つめていると周りの騒々しさを一瞬忘れます。

Begampurモスク、冬の日の日溜りの静謐。

ジャハンパナーと呼ばれる14世紀に造られたデリーの城塞都市にあるモスクで、イラン人建築家のデザインによるものと言われています。

荒松雄先生の推計によれば、建築年代は1343年頃、他説によれば1351年頃、とされています。

トルコ系トゥグルク王朝がインドの地で、どんな街造りをしようとしたのか今はただ、想像するのみです。

ムスリム学校マドラサ跡

デリー、ハウスカス・ヴィレッジの一角にある中世のムスリム学校マドラサ跡。

静かなイスラムの学びを積み上げ様とする人々の拠点として、 マドラサは重要。

ここにあるかつての学び舎の敷地内には、教師達のお墓もあり、今は、公園として、宗教・宗派・イデオロギーに拘らず、老若男女の声がこだまする一角となっています。

クルダバード

クルダバードには、大勢のスーフィーとともに、アウラングゼーブが眠っています。

スーフィーはイスラム神秘主義と言われ、一般民衆にとっては受け入れやすい、日常的な宗教形態であったようです。

ムガール帝国第六代皇帝アウラングゼーブ(1618-1707)は、穏健なスーフィーを最初は尊重しました。

が、段々と厳格化・保守化し、イスラム法を順守する立場になったということです。

クルダバードは、オーランガバードとエローラの間にあります。

気をつけていないと見逃すかも知れないくらい、静かなこじんまりとした町でした。

クトゥブ・ミナールの立つこの地がイスラム化される前の時代に鉄柱は既にありました。

チャンドラグプタ2世(超日王、在位:376 – 415)が他所より鉄柱を持ってこさせ、この地に建立させたと言われています。

イスラム建築群の中にあって異彩を放っています。

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市場流動性や金融相場価値の変動性が大きく振れる可能性があると見ている様です。
吟遊詩人の伝統のあるベンガル出身のおじさん。