遥かなる民とのつながり

遥かなる民とのつながり

杉山龍丸氏

杉山龍丸氏(1919-1987)。

戦後、インドの緑地化運動に半生を捧げた彼の壮絶な人生を画いた「グリーン・ファーザー」の英訳本を手にする事が出来ました。

感無量です。

数少ない英訳本、全て知り合いに差し上げてしまいました。

少しでも、グリーン・ファザーの事績を冷静に読み込んで、知って戴ける方が増えれば、大変、嬉しいです。

サンスクリット語

古典ギリシャ語、ラテン語同様に印欧語族代表格の言語サンスクリット語は、古代から中世にかけてインドから東南アジアまでをカバーした共有語です。

一万人以上の話者が前回のインド人口調査の際、自分を話者として自己申告したとされています。

日本人も古語や古典の文学から、どんどん遠ざかっている様に思われれ、残念ですね。

Men-Tsee-Khang

インドにあるチベット医学クリニック「Men-Tsee-Khang」の薬局風景。

チベット医学はインド伝統医学アユルベーダと深い関わりがあるようです。

お医者さんは丁寧に患者の脈を取ります。

ここには、いろいろな宗教の人が、診療を受けに来ます。

民間の施術を行う所として、治療費は、低めに設定してある、と思いました。

民間の施術とは言っても、西欧風の医学では無いと言うだけの事で、立派なチベット医学です。

ダラムサラには、チベット医学の大学があり、かつて、ある日本人の薬剤師の方が、ここで医学の勉強をした記録を、本やYouTubeで見た事があります。

Agriculture & Industry Survey

月刊の農業専門誌“Agriculture & Industry Survey”。

農業、畜産、農業機械など幅広い内容を網羅。

有機農法を含む最新の農業技術の共有化、集団農場経営、政府助成からの脱却が農業経営者の立場から出張されているページもありました。

農業大国インドは新時代の農業のあり方を検討しています。

大量の情報は、インターネットで分かるのかも知れませんが、とは言え、農業関連情報を書籍の形でじっくり俯瞰して読める、と言うのもありがたいです。

アパタニ族

アパタニ族の言語はタニ語。

タニ語はチベット・ビルマ語派で、その上のカテゴリーはシナ・チベット語族。

ヒンディー語・ウルドゥー語などサンスクリット系とは異なる言語グループです。

アルナーチャル・プラデーシュ州を良く知る日本人によれば、住民の顔は日本人に似ており、日本のご近所のおじさん、おばさんかと錯覚する位だそうです。

インド国内で、まだまだ会ったことのない人々が大勢おり、それぞれの人々・グループが、数え切れない程の言語・方言を使用している現実に圧倒されます。

アディー語教則本

アディー語教則本。

インド最北東部アルナーチャル・プラデーシュ州には90の言語があると言われています。

アディー 語はその一つ。

デリーの知り合いから貴重な英語によるアディー語入門書を見せて戴きました。

アディー語は言語学的にはシナ・チベット語族に分類されています。

アディ語を使う人々は、また、その周りに、似た方言を使う人々に更に分れる様です。

不思議な言語空間です。

パンジャーブ語新聞

パンジャーブ語新聞、これもデリーで購入可。

パンジャーブ語は国境地帯を挟んだ、インドとパキスタンの両側で話されており、在外印僑を含めた話者数は何と一億二千九百万人との事。

ヒンディー語、ウルドゥー語と同系統のインド・アーリア語派であり、更に印欧語族へと連なります。

マラーティ語の新聞

デリーのコンノート・プレースで見つけたマラーティ語の新聞。

マハラシュトラ州の主要言語であり、全世界での話者数は、9000万人と言われます。

インド・イラン語派に属します。

インドの近世初期、シヴァージ(1627-1680)はマラータ王国(1674-1818)を建国し、ヒンドゥーの立場からムガール帝国と戦いました。

この王国の言語はマラーティ語でした。

オリヤー語新聞

オリッサ州主要言語オリヤー語新聞。

デリーで偶然見つけました。

インド国内の話者数は三千万人以上、インド・アーリア系言語。

海外居住者社会(ディアスポラ)も含めると世界全体で四千五百万人以上がオリヤー語を使用。

ジャワ、スマトラなどインドネシアへの移住者が多いようです。

昔から、インド人には海洋性の機運がある様に思います。

インド言語現状調査

インド言語現状調査。ついに見つけました。

全巻50冊。

新聞に発表された調査結果によれば、インドには780の言語があり、66の書記体系があるそうです。

北東部の州アルンナチャル・プラデシュだけで90の言語がある、と言います。

これだけ言語が多様ですと、ヒンディー語優先政策は不人気です。英語が共通公用語であるのもむべなるかな、と思わざるを得ません。

複数の異なる語族が接し合い、混じり合い、また飛び地があって、摩訶不思議な言語空間です。

今でも、新しい言語混在状況が生まれている様です。

Himachal Pradesh 州Manaliの丘の上の温泉町にあるpaying guest houseの日本人女将が、地元の素材を使って、和食膳を造って下さいました。

インドでもよく見るマニ車(転経器)の中にはロール状の経典が収められている、との事。

マニ車を回す事で身体とスピリットの融合が可能であると言う説明を聞きました。

主にチベット仏教で実践されています。

ネパールのカトマンズ盆地西方の丘の上の寺院スワヤンブナート寺院にて。

チベット仏教とボン教では、中に入れる経文が違うらしい。

インドには、ダライ・ラマが亡命する前から、ネパール人が住んでいました。

デリーの中にも、古くから、インドに住んでいるネパール人の居住地域があります。

多くの、ネパール人に取って、インドは行商に行く場でもあったわけですね。

特に、冬場に着るセーターのようなもの。

北デリーには、そんなマーケットがあります。

例えば、チベット人キャンプ南部のラダック・ビハールなど。

Mulagandha Kuty Vihara

初転法輪、お釈迦様が最初に法を説いたインド・サルナートの町には各国の仏教寺院があります。

写真は1931年に建立されたスリランカのお寺Mulagandha Kuty Vihara。

お寺の中には、日本人絵師の描いた仏陀の生涯を表わした絵が収められています。

初めての教え、、中道、難しいな、でも。

インド・サルナートにあるタイのお寺

インド・サルナートにあるタイのお寺。

26メートルある立像は1995年から2005年にかけて彫られたそうです。

この地には、タイからの巡礼者が大変多いです。

タイ語を聞いていると、気分が弾んで来ます。

タイ人達の穏やかな話し声が聞こえて来ます。

アラブ宿(Arab-Ki-Sarai)

アラブ宿(Arab-Ki-Sarai)への入り口。

アラブとは言え、実際はペルシャ人職人宿でした。

Saraiはペルシャ系の語らしく本来は「隊商宿」。

デリーのフマユーン廟は1565年から1672年迄と何と100年以上もかけて造られ、300名のペルシャ人職人も働いていたと言う説明がありました。

ゲートには当時の彩(いろどり)が少し残っています。

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