デリー散策

デリー散策

アサフ・アリ小路

アサフ・アリ小路。

玉石混交と思われる路上の本市。

活気があって楽しいし、結構本好きな人が多い様ですね。

分厚いコンピューター・マニュアル等のコピー版も、あったりして。

Raghubir Nagar

Raghubir Nagar朝夕。

下町の人の多い長屋みたいな一角に、いろいろな宗教の形があり、朝晩、静かに祈る人々が吸い込まれて行きます。

狭い横丁の辻々にも、人々が静かに、跪き祈る場所が、たくさんあります。

kaizen

嬉しい、デリー郊外の横丁に「改善」と言う名の床屋があった。

お店のチョビ髭おっちゃんに「これ日本語って知ってる」と聞いたら、にこにこ笑って頷きましたもありがたいです。

日本式生産方式を一言で凝縮した言葉が、横丁の看板に書いてあった。

意味する所は深いと思います。

ウルドゥー語専門書店

デリーのウルドゥー・バザール通りにあるウルドゥー語専門書店。

オールド・デリーではかつてウルドゥー文化が繁栄していました。

ジャーマー・マスジドの第一門あたりにウルドゥー・バザールの地名が残っています。

本はウルドゥー語ではkitab(但しアラビア語起源の言葉で、イスラム教圏内ではkitabの語がよく使われている様ですね)、ヒンドゥー語ではpushtak、しかし、殆どのヒンドゥー語話者は、kitabと言う言葉は理解出来る、との事ですが、現代では英語から借り入れた語bookもインドでは広く使われている、との事。

Bookと言えば、宗教的色合いがなくneutralと言う事になるなのかなあ。

ina

INAの名を冠した一大食材市場。

インドのもち米を探しに行きましたら、タイ米まで売っていました。

INA(Indian National Army)は第二次世界大戦中東南アジアで編成されたイン独立を果たそうとしたインド国民軍の省略です。

日本軍の支援により設立されました。

タイ米を探しに来るタイ人の話し声を、時々耳にします。

Vasant Kunjで見つけたちょっとインドらしからぬカフェ。

入り口の犬を踏みそうになりました。元なのか現役なのか、とにかくジャーナリストのおばちゃんが経営する、小洒落たカフェーの入り口には、いつも年老いたおっとりした感じの近所の犬が、寝そべっていました。

残念ながら、お店は一年位で、閉じてしまいましたが、あの頃、社会のあれこれとしたテーマ・事象について、自分が舌足らずではあっても、語り合う場がありました。

デリー首都圏芸術大学

デリー首都圏芸術大学。

古く懐かしい学び舎と新しい校舎が混在しています。

キャンパスには芸術作品が転々と置かれています。

炎天下ではありますが、頭を空っぽにして見入ってしまいました。

デリー・メトロMandi House駅周辺には、芸術・文学に関係する施設が集まっている一角があります。

文学館・楽器館・演劇館があり、文学館の図書館で、古い古事記の英訳本を見つけました。

また、美術大学の庭には、学生たちの創作が並んでいました。

ラビンドラ・バワンにあったタゴールの彫像。

デリーにおけるこの重要なインド芸術発信地は詩聖ラビーンドラナート・タゴール(1861-1941)の名を冠しております。

中にあるインド楽器ギャラリーは見応えがあります。

インド古楽器と西洋や日本の古楽器との関係を何となく感じました。

残念ながら写真撮影は禁止でご紹介出来ません。

ガンディーが強い反植民地的立場から、外国のものを排斥しようとする極端な国粋主義に走り出そうとしていた時、友人としてタゴールは、ガンディーに対して助言を与え続けたと聞きました。

インドが、極端な国家主義に陥らなかったのは、ガンディーがタゴールのより視野の広い世界観に基づく国家のあり方を受け入れたからだと思います。

1962年製フィアット1100の街頭展示。

デリーの中心街Tolstoy Margで見つけました。

受付のお姉さまによれば、これは非売品とのこと。

50年を生き延びたて来た味のある車の味のあるフロント部分です。

フィアットはインドでは、かつてタクシー車にも利用され、時代を先端性を表すスタイル主張力のある自動車でした。

今は、他社との合従連衡をバネに、次の時代の中での存在感を築こうとしているのではないかと思います。

ヴィヴェカナンダ

彼、Vivekananda(ヴィヴェカナンダ;1863-1902)は、インド哲学を中心に西欧の哲学も専攻した現代のヒンドゥー教の僧侶・哲人で、親日家として日本にも訪問しています。

オールド・デリーの人、大八車、牛、バイク、車の行き交う市場の三叉路に、この像はあり、街の移り変わりを眺めて来ました。

彼は、いろいろな宗教の人々と語り合った、と伝え聞いております。

西欧へヨガを広く知らせた功績がある、との事です。

カシミリ門

カシミリ門。

ムガール帝国拡張期の1650年代に、当時のデリーからカシミールへ向かう道の出発点として、この門は造られました。

現在の門は1835年にイギリス人ロバート・スミスが改修。

1857年には植民者イギリスに反抗したインド人兵士による「セポイの乱」の舞台の一つ。

歴史の激動期に立ち会って来た門ですが、今はひっそりと佇んでいます。

門の裏には、「セポイの乱」当時の銃弾痕跡らしきものが、残っています。

いずれ、統治国との衝突は大きな独立への胎動になる事を予見させる、独立達成への悲願が凝縮されている歴史的緊張感が漂っている、そんな場所にいる様に、感じられました。

ウルドゥー語は話者数6100万人、ヒンディ語と同系統のインド・アーリア語族でパキスタンと北インドに広まっています。

モスク入り口の本屋のおじさんはGhalibのウルドゥー語詩集を誇り高く示してくれました。オールド・デリーはかつて豊かなウルドゥー語文化圏であったと聞いております。

サンスクリット語やパーリ語を根幹に持つヒンディー語に、アラビア語、ペルシア語、トルコ語などの言葉が混じった言語で、ある人に言わせれば、ウルドゥー語の母語はヒンディー語だと言います。

似ていながら、お互いに、十分に意思疎通が出来ない、と言うもどかしさは、残るのでしょうね。

デリーのニザムッディーンに、ウルドゥー語協会があり、詩集などを売っており、純粋なウルドゥー語普及を目指しています。

コーヒー・ボード、デリー事務所。

中東の巡礼地からインドへコーヒー豆が持ち込まれたのは17世紀。

19世紀、コーヒーは「さび病」に襲われます。

その後、病害虫駆除や品種改良が続き、コーヒーの品質を守るための研究機関として、インド・コーヒー・ボードは1942年に商業産業省下に設置されました。

コーヒー豆や円やかな挽きたてコーヒー粉をここで買うことが出来ます。

その日のコーヒー取引価格が入り口から入った壁に、表示されていました。

市況産品としてのコーヒー価格は、海外取引だけではなく、昨今の旺盛な国内需要を大きく反映しているものと思います。

奥の部屋では、コーヒーを挽く作業が行われており、辺りに、香ばしい香りが漂っていました。

古風なカフェー。

1936年ムンバイで創業したIndian Coffee Houseは英国植民地時代にはインド全土に50店舗ありました。

本日はデリーのお店へ。

外気温40度超えでも頑固にエアコンがないのは少々辛い。往時のカルカッタの店舗にはタゴール、ボースも常連であり、文化人、芸術家、映画監督、政治家の溜り場であったそうです。

古き良きインド版カフェ・ド・ラ・ぺ。

古くからあるインド的雰囲気を残すカフェには、かつて、人々が語り合う空間や、一人物思いに沈むスポットがあったのだと思います。

十年前迄は、エアコンもない、熱気をかき回す様なファンの巻き起こす風の吹く、こんな気風を感じさせられる冒険的雰囲気がありました。

今は、欧米風の近代的な小綺麗なカフェが、散在しています。

Dakshin Delhi Kalibari

カーリーを祭るDakshin Delhi Kalibariはデリー市内外環道路沿いにあり、南インド系のお寺Malai Mandirの隣にあります。

Dakshin Delhi Kalibariにはベンガル系の人々が多く集まります。

殺戮の神カーリーが本当の怒りの頂点に到達しないように祈ると言う面があると思います。

神々や神性を帯びた存在が本当の怒りを発したら、人間社会はお終いかも知れませんね、そんな思いがよぎりました。

しかし、お堂の中の神々は、皆、静かなお顔をしておられました。

Uttara Swami Malai Temple

デリーにある南インド寺院郡Uttara Swami Malai Temple通称Malai Mandirは小高い丘の上にあります。

主神Swaminantha別名Murganは孔雀を乗り物としていた、と言われ、後の時代に、仏教に取り入れられ韋駄天と呼ばれました。

このお寺の参拝者は殆ど南インド出身であり現在デリーで働いている人々です。

デリーで働いている、多くの南インド出身の働き手が集う、しっかりとした宗教的・精神的コミュニティーが、ここにあります。

聖霊降臨祭(ペンテコステ)の朝、St. Thomas教会へ行きました。

この日の礼拝はヒンディー語で、理解出来ず、申し訳なく思いながらも、途中で失礼致しました。

静かなペンテコステの朝でした。

Mandir Margには、ヒンドゥー、、キリスト教の祈りを捧げる施設が並んでいます。

Biran ka Gumbad

立派なドーム型構造のBiran ka Gumbadはロディー朝(1451-1526)の建造物であるが、詳しい事は判っていない。

マーケット裏通りの木立の中にあり、見上げるとしばし暑さを忘れます。

デリー南部のグリーン・パーク・メイン・マーケットから歩いて数分。

木々に覆われた一瞬の静けさ。

肺がん撲滅絵画制作。

とある日曜日、子供たちが集まって、禁煙による肺がん撲滅の絵画の創作を競っていました。

ロックダウンの影響下、皮肉な事に、今デリーの空は綺麗です。

コーノートプレース

植民地宗主国英国が造ったデリー中心街コンノート・プレース。

2013年版フォーブス誌によれば、世界で五番目に賃料の高い商用地区と聞きました。

20世紀初期、建物群構築前は、ジャッカルが潜み、ノブタが走り、食用になるヤマウズラがハンティングされる場所であったそうで、現在とは隔世の感があります。

コーノートプレース

植民地時代に建築されたコンノート・プレース(築年1929-1933)内の建物に収まっているレストラン・エンバシ―。本格的なインド料理店と思います。

創業者はイギリスによるインド植民終了直後、1948年にカラチから亡命して来た人との事。20世紀激動の時代感が伝わって来ます。

このレストランは、何度か火災で内部は焼けてしまいましたが、外形はイギリス統治時代の残滓を留めているのでしょう。この辺りの繁華街は、良くも悪くも、現在のニューデリー(オールドデリーではありません)の中心として、残り続けています。

この一帯は、サークル状に建設されており、周りの主要幹線は、放射状。サークルの位置と中心からの角度を正確に把握しないで、周辺をうろうろと回っていると、東西南北を見失います。

アンサリ・ロード

デリーの神田、アンサリ・ロード。

マニアックに本好きの方々はダリアガンジにある出版社系書店街に行かれた事があると思います。

写真は、英国ケンブリッジ大学出版局のインド支店。

英国本部の出版局は世界最古であり、英国での創業は1534年。

インド支店にはアジアに関する人文系の本が書棚に満載です。

多くの研究者の、細部に迄渡る貴重な文献が、所狭しと並んでいました。

私は、学者ではなく、一般の凡人ですが、学ぶべき事が、多様に偏在しているな、と溜息をつく輩の一派であります。

ジャイナ教開祖マハーヴィーラの像

ジャイナ教開祖マハーヴィーラの像

南デリーの小高い丘の上のAhinsa Sthal Jain Templeに鎮座しています。生誕は紀元前549年から紀元前477年と言われていますが、諸説あり。

平等思想の実践者であったと理解しております。

ブッダの方が、マハーヴィーラより少し後の時代の人と言われていますが、どちらも、インド古来から強固に根付いていた、身分制度に疑問を投げ掛けた人であった、と思います。

現在、法律的にはカーストはない、とされていますが、現代社会生活に深く染み込んだ思想であると思います。

単に善・悪一刀両断的問題ではなく、身分制度に関する深い問いかけは、現代においても繰り返し議論されている、と認識します。

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発祥は神話時代に遡ると言われるマドゥバニ画。
糸車(チャルカ)はインド独立運動の象徴となりました。