ガンディーの後継者!?:ヴィノーバ・バーヴェとブーダン運動

ガンディーの後継者!?:ヴィノーバ・バーヴェとブーダン運動

ヴィノーバ・バーヴェ(Vinoba Bhave, 1895-1982)という人物をご存知でしょうか。ガンディーの暗殺後、ガンディーの意思を継承する、後継者とみなされた人物で、ヴィノーバ・バーヴェが主導したブーダン運動(Bhoodan Movement)を通して、注目を集めました。

ヴィノーバ・バーヴェは、インド特有の封建制度に異を唱え、差別的扱いに苦しむ人々の解放を目指し、多くの人々に影響を与えています。今回は、このヴィノーバ・バーヴェと、彼の行ったブーダン運動についてみていきます。

1.ヴィノーバ・カーヴェ

ヴィノーバ・カーヴェは、ガンディーの後継者との評価をもつ、ガンディー主義者で、ブーダン運動の指導者としても知られています。

マハーラーシュトラ州の小さな村で生まれたヴィノーバ・カーヴェは、幼いころからヒンドゥーの聖典に触れ、その知識を学びながら育ち、大学生の時に、マハトマ・ガンディーに感銘を受け、ガンディーの運動へと身を投じることになります。

ヴィノーバは、ガンディーと直接、やり取りしており、ガンディーの活動に、ヴィノーバの発言が影響することもあったといいます。

ヴィノーバが、ガンディーと共にした一連の運動の中で、名を知られたのは、1940年にスタートした、ガンディーによるサティヤーグラハ(非暴力運抵抗運動)の最初の運動員として、指名されたことがきっかけでした。

ガンディーとともに活動をしたヴィノーバは、ガンディーの死後も、その遺志を引き継ぎ、活動を続けていきます。

その代表的なものが、ブーダン運動です。

2.ブーダン運動

ブーダン運動は、1950年代初頭、ヴィノーバ・カーヴェによって始められた運動で、南インドのテランガーナ地方(現テランガーナ州)で始められ、のちに、北インドのビハール州でも展開された、土地制度の改革を求める運動です。ブーダンは「土地の寄進」を意味します。

ブーダン運動の目的は、封建的なインド、特に、ヒンドゥーのコミュニティの中で、奴隷的に扱われてきた、貧農や農業労働者たちの、社会・経済的地位の向上を目指すことにあります。そのため、地主の良心に訴えかけることで、地主が自発的に、貧農たちへと、土地を再分配させようというものでした。

後に、ブーダン運動は、村落全体を貧困層へと寄進させることを求める、グラームダーン運動(Gramdan Movement)へと発展します。

ヒンドゥー社会は、生まれによって、人生における、社会・経済的優劣が決まるといわれています。ブーダン運動は、この劣位に置かれた人々が、能動的に社会改革を求めることを抑えるため、という目論見もあったとの指摘は、よくされます。下からの社会改革運動は、既存の社会体制への挑戦となり、ヒンドゥー社会の破壊へと繋がる、との危機感をもったためです。

そのために、地主自らが、貧者たちへ、土地の寄進をすることを求めたのです。ヒンドゥー社会も、意外と悪くないだろ、といった感じでしょうか。

ヴィノーバの、旧来の社会制度を維持しようとする、「上から」の、善意の社会改革運動は、ガンディー主義的と評価されています。実際、ガンディーは、不可触民問題はあくまで、ヒンドゥーのモラルの問題とし、上にいる人たちを啓発することで、解決できると考えていました。

地主から貧者への、土地の寄進は行われましたが、その多くは、生産能力が著しく弱い土地や、耕作不能な土地でした。

そのため、ヴィノーバが当初考えていた、寄進による、目標としていた農地面積を達成することはできず、運動の限界を露呈したといわれました。

ちなみに、ガンディーも、不可触民に対し、従来は禁じられてきたヒンドゥー寺院への参拝を認める運動をしましたが、ブーダン運動と同様に、その解放された寺院のほとんどが、朽ち果てた寺院や祠であったといいます。

ガンディーもヴィノーバも、抑圧された人々の地位向上を図ったのは事実ですが、あくまで、上位カーストの立場を、ヒンドゥー社会の中で維持したうえでの取り組みにみえます。

インドの社会改革運動は、こうした性格のものが多いため、不可触民の問題の、根本的な解決は難しいと考えられています。

余談ですが、このブーダン運動には、後に、政権与党となるジャナタ党のシンボルとして活躍したナーラーヤンが、熱烈な信奉者として参加していたことでも、知られています。

3.当時の土地制度の問題

インドは独立当初、イギリス時代から続いていた、様々な土地制度の弊害が残っていました。その中の代表的なものである、ザミンダーリー制度と、その問題を紹介します。

ザミンダーリー制度(Zamindari System)は、地域の有力者(地主)に、独占的な土地の所有権を認めたものです。これにより、一般農家の土地所有が制限され、地主による支配を強める、大きな要因となりました。

多くの農民は、小作農として、抑圧的な労働を強制され、賃金も安く、しばしばインドで起きてきたなどの際には、真っ先に犠牲となってきました。

ザミンダーリー制度は、インドの抑圧的な農業社会体制の、大きな要因となったといわれています。

イギリス側の利点は、納税の相手を絞ることで、スムース化を図ったということなどがあります。

インド独立後、1950年代には各州で、ザミンダーリー制度や小作農は、法律で禁止されることになります。しかし、インドは広いため、政府の指導がいきわたるのには時間を要し、ブーダン運動当時は、まだまだ残っていました。

4.ガンディーの後継者!?:ヴィノーバ・バーヴェとブーダン運動のまとめ

ヴィノーバ・バーヴェは、マハトマ・ガンディーの後継者との評価の声もありますが、ほとんどの日本人にとっては、引っ掛かりのない、スルーしてしまう人のような気もします。ただ、ヴィノーバの行った、土地制度の改革を求めるブーダン運動は、ナーラーヤンをはじめ、多くの政治家たちに、社会改革の必要性を考えさせたものでした。

当時の、旧態依然とした土地制度に、一石を投じた人物がいた、と認識してもらえると嬉しいです。また機会があれば、ヒンドゥー社会の改革者について、紹介できればと思います。

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