ティラクと幼児婚禁止反対運動

ティラクと幼児婚禁止反対運動

「インド・ナショナリズムの父」とも評される、ティラク(Bal Gangadhar Tilak, 1856-1920)をご存知でしょうか。ティラクは、20世紀初頭に盛り上がりを見せた民族運動の中で、急進的民族グループ最大のリーダーとして、人々を先導しました。ガンディーと、バチバチやりあったことでも知られています。

今回は、ティラクを簡単に紹介したのち、インドの社会問題である幼児婚禁止に反対をした、彼の考えをみていきます。ヒンドゥー教の伝統を重要視するティラクは、幼児婚をどう捉えていたのか、反対しなくてはいけない理由があったのでしょうか。

1.ティラク

ティラクは、近代インドの政治家・思想家であり、20世紀初頭の民族運動の中で、急進的民族グループ最大のリーダーでした。マハーラーシュトラ州プネー出身で、教育者としてスタートし、民族運動の中心で、活躍していくことになります。

ティラクが主催した新聞である『ケーサリー(Keasari)』と『マラーター(Maratha)』は、インドの代表的な民族紙として、反英運動の世論を盛り上げる、強力な武器として使われました。「スワラージ()こそ、民族生得の権利であり、これを奪取することは、民族の義務である」との思想を、広くインド人の心へ訴えかけました。

ティラクは、「スワラージ」とともに、「スワデーシー(民族産業の奨励)」「イギリス製品のボイコット」「民族教育」を掲げて、運動を展開していきます。ティラクの求心力を警戒したイギリス政府は、彼を逮捕し、1908-14年まで、ミャンマーで獄中生活を強いました。

釈放後、再び、自治要求運動を指導し、1918-19年にかけて渡英をし、イギリスをはじめ、西欧諸国の世論に、インドの自治を訴えかける活動をします。第1次世界大戦を機に、インドでの労働組合の推進にも力を入れ、1920年の全インド労働組合会議(All India Trade Union Conference)の結成に繋げました。

ティラクの著書である『ギーター・ラハスヤ(ギーターの奥義, Gita Rahasya)』は、ヒンドゥー古代聖典『バガヴァッド・ギーター』の注釈書で、名著として知られ、この中で、「カルマ(行為)」による解脱の道を、ギーターの中でみつけたとしています。

ティラクにとって、ヒンドウー聖典は、ヒンドゥー教徒が「正しく」生きる規範を示しているもので、その考えを広めることにより、インド人の団結を願ったのです。

2.ティラクの幼児婚禁止反対運動

イギリスは、植民地支配下で行われている幼児婚を問題視し、規制をかけることとなります。それに対し、ティラクをはじめとしたインドの民族主義者たちは、猛烈に反対することとなります。

ここでは、幼児婚を簡単に説明したのち、ティラクの主導した「幼児婚禁止」への反対運動をみていきます。

2-1.幼児婚

幼児婚は、植民地期当時、ヒンドゥー文化に深く根差した慣習として、広く行われていました。

なお、ヒンドゥー最高権威をもつ、紀元前後に編纂された『マヌ法典』においても、「30歳の男性は12歳の女性と結婚すべし」と、幼児婚を推奨する記述もあり、伝統的な慣習となっています。

幼児婚は、幼児同士の結婚という例もありましたが、初老のヒンドゥー男性と、4~5歳の女児との結婚といったような形もあり、そうした女児と性交をする男性がいたこともあって、イギリス人には忌み嫌われていました。

さらに、10歳程度の女児が妊娠し、出産に耐え切れずに死亡する事件が起きるなど、少女たちの精神的・肉体的発達の大きな障害として、イギリス政府に認識されてきました。

さらに、寡婦の再婚を忌避するヒンドゥー文化も、幼児婚と結びついて、問題視されています。初老男性と結婚した女児が、結婚生活を迎える前に死亡するケースも、多くあったためです。

そして、イギリス政府は1860年、はじめてこの幼児婚に対し、法的な規制をかけることになります。

2-2.ティラクの幼児婚禁止反対運動

1860年の規制では、結婚の最低年齢はとされましたが、それではあまりに年齢が低すぎると問題視され、1880年以降、幼児婚禁止しようとする政府側の動きが、活発化していきました。こうした動きに、ティラクは反発し、自身の発行していた新聞において、幼児婚禁止に反対する論陣を、はっていくことになります。

ティラクの立場は、幼児婚を禁止する「」への反対でした。ティラクは、ヒンドゥー文化の外からやってきた、イギリスによるヒンドゥー文化への干渉に、反対したのです。

そしてティラクも、幼児婚という慣習を悪習ととらえており、改めるべきと考えていましたが、あくまでこの社会改革の動きは、ヒンドゥー自身の手によって行われるべきとの考えだったのです。

ティラクの考えた、幼児婚への改善点をみてみましょう。

  1. 女子の16歳以前の結婚を禁止する
  2. 男子の20歳以前の結婚を禁止する
  3. 40歳以上の男性が結婚する場合は、寡婦としなくてはならない
  4. ダウリー(持参財)の廃止
  5. 寡婦の尊厳を守る

一見すると、ティラクはヒンドゥー社会の改革運動に、積極的にみえるかもしれませんが、実際には、こうした改善点の指摘はしましたが、積極的ではありませんでした。ティラクの考えでは「民族の自決」が最も優先されていたといえ、この幼児婚に対する姿勢も「民族自決」の一環なのでしょう。

仮に、幼児婚を本当に問題視していたとしても、自身の支持層の多くは、ヒンドゥーの伝統を重要視する層が多かったため、分裂を恐れたのかもしれません。ただ、武闘派・強硬派のイメージの強いティラクは、自身の信念の前に臆するイメージはないので、もやもやしてしまいます。

その後、幼児婚禁止反対運動は、数千人規模のデモを開催するなどして、展開されていましたが、1891年、女児の結婚可能年齢が12歳に引き上げられたことで、急速に下火になっていきます。女性の結婚年齢16歳という主張も、消えていきました。

これ以降、ティラクも、結婚年齢について触れることも減り、ますます「民族の自決」へと、前のめりになっていきます。

3.ティラクと幼児婚禁止反対運動のまとめ

この時代の民族主義者たちの中で、よく登場するのは、ティラクのように、社会改革はイギリス主導でなく、インド人主導でするべきだという「民族自決」を求める人々です。この他にも、植民地下のヒンドゥー社会が堕落したとし、「古典回帰」を主張する、ヒンドゥー復古主義者なども多くみられました。

個人的に、この時代のインドには興味があり、本など多数読んだのですが、女性への悪習に対する社会改革の多くが、女性の地位向上のためというより、「ヒンドゥーのあるべき姿」との乖離を正すための社会改革というものがほとんどなのが、残念です。

ただ、今の時代の価値観とは異なっているので、それを押し付けるのも違うのでしょう。ティラクのエピソードなど、興味深いものがあれば、また紹介させていただこうと思います。

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