シク教

シク教

2019年のインドにおけるシク教徒の人口は約2,400万人、全体の1.72%を占めています。普段の生活では、マイノリティであるシク教徒と接する機会はなかなかないかもしれませんが、かれらを峻別する外見的特徴として挙げられるのが、ターバンでしょう。インドの場合は、ターバン = シク教徒とみて問題ないと思います。

ターバンということに注目して街中を見てみると、シク教徒が意外といることに気付くのではないでしょうか。

今回は、インドの宗教人口の割合ではマイノリティですが、歴史的に常に一定数、インドに根付いてきたシク教の教義と、展開の歴史などを紹介します。

1.シク教の教義と神

シク教の特徴としては、カースト制度・出家の否定、酒・煙草・麻薬の禁止、・偶像崇拝の禁止、勤勉さや他の宗教や同性愛への寛容性、そして体毛を剃ることの禁止などがよく挙げられます。

シク教の教義の特徴は、ヒンドゥー教とイスラム教の批判的統合といわれています。

開祖であるナーナクは、自身のことを次のように語ります。

  • 「ヒンドゥーでもなければ、ムスリムでもない」
  • 「ヒンドゥーのグルであり、ムスリムの導師でもある」

ナーナクは、ヒンドゥー教やイスラム教の教えを基に、シク教の教えを展開していきました。

シク教における神の特徴は、以下の点が挙げられます。

  • シク教において、神は唯一であり、かつどこにでも存在する
  • 神は、理由によって生まれるのでなく、自ら生じる
  • 神は、古から現在、未来において、変わることのない真実である
  • 神は、すべての生物に真実を教える、案内者である
  • 神は、宗教・・民族により、様々な呼称があるが、ただ1つのみ存在する

開祖であるナーナクは、創造神としての神の幻力や、生きとし生きるものの輪廻など、ヒンドゥー教に由来する教えを取り入れています。シク教の最終目標も、輪廻からの解脱であり、神と1つになることと考えましたが、そこに至る手段は、ヒンドゥー教とは異なる考え方となっています。

儀礼や修行、沐浴、、偶像崇拝、断食など、ヒンドゥー教徒としての慣習は無用・無意味、といった考えをもち、ヒンドゥー社会を形成するカースト制度へも批判を向けています。それは、唯一・絶対・全能である神の前では、人はみな平等で、貴賎のない同朋と考えるため、自身の社会的ヒエラルキーは、自身の行いによってのみ決まるべきという教えです。

こうした考えは同朋主義と呼ばれ、イスラム教の影響によるもので、シク教はヒンドゥー教・イスラム教の影響が混在していることがわかります。

2.シク教展開の歴史

シク教は、ナーナク(1469~1538)を開祖とする、インドに多くの信者を抱える宗教です。シク(Sikh)はサンスクリット語でシシャ(Sisya)に由来する言葉で、「弟子」を意味します。シク教徒は、グル(guru、師、法主)の忠実な弟子であると教えられるためです。

グルは代々継承され、初代グルであるナーナクの聖性と宗教的権威は、2代目、3代目へと引き継がれて行くと考えられています。しかし、第10代目のグルの際、跡継ぎが全員、ムガル帝国との戦争によって死亡したため、以後、シク教の聖典『グラント・サーヒブ』をグルの位置に定めました。

以下、大きな影響を与えた歴代のグルを、簡単に紹介します。

2代目グル:アンガド

初代グル・ナーナクの言葉を残すため、パンジャーブ地方のグルムキー文字で聖典を残しました。

ナーナクの教えを説く集会所を多数つくり、貧しい者たちへ食事を与えるなど、シク教の基礎を築きます。

4代目グル:ラームダース

グルの世襲制を採用します。

5代目グル:アルジュン

に拠点を移し、ゴールデンテンプルを建立します。

歴代のグルの教えなどが記された聖典『グラント・サーヒブ』を編纂し、卓越した指導力により、パンジャーブ地方を治め、王国ともいうべき体制を作り上げました。

6代目グル:ハルゴービンド

大きく広がった、王国ともいうべきコミュニティを守るため、数々のを行い、軍隊を作りあげ、軍事化を進めました。

9代目グル:テーグ・バハードゥル

ムガル帝国皇帝アウグランゼーブによる迫害を受け、改宗を迫られましたが拒否したため、殺害されました。

10代目グル:ゴーヴィンド・シング

でグルを継いだ彼は、頭髪を剃らずに頭にターバンを巻きつける、禁煙禁酒など、その後のシク教徒の慣習となることを始めたといわれています。

ムガル帝国との争いで、嫡子すべてを失ったため、以後、グルは相続されるものではなく、5代目グルのアルジュンが編纂した『グラント・サーヒブ』をグルと見なすことになりました。

そのため、『グル・グラント・サーヒブ』とも呼ばれています。

シク王国とその後

1801年にパンジャーブ地方のラホールでランジート・シングが「シク王国」の建国を宣言。

1849年、イギリスとのシク戦争を経て滅ぼされます。

その後は、インド社会の中のマイノリティとして、シク教徒は生活していくこととなりますが、ヒンドゥー教徒との関係は比較的良好で、大きな対立なくインド独立を迎えます。

1970年代以降、「シク教徒の国」建設を求める運動が過激化し、インディラ・ガンディー暗殺事件を起こしてしまいます。

3.シク教のまとめ

私は、デリーにシク教徒の友人がいたのですが、彼は髪は短髪、酒は大好き、タバコも吸うという、極めて不真面目なシク教徒でした。家に帰るたびに、親に泣かれていたそうです。

このような人はレアケースなのかもしれませんが、概して他宗教にも寛容な人が多いので、付き合いやすいのではないかと思います。個人的には、カースト制度のヒエラルキーを否定している点が、ポイントが高いです。

シク教徒の動きとしては、1970年代以降過激化した「シク教の国家」建設を求める運動も興味深いので、また違う記事で紹介します。

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