シク教徒の分離独立運動⑤:インディラ・ガンディー暗殺とその後

シク教徒の分離独立運動⑤:インディラ・ガンディー暗殺とその後

前回の記事では、シク教の国建国を錦にした過激派ビンドランワレーを鎮圧した「ブルースター作戦」についてみてみました。数々のテロ行為を起こし、多くの人を殺したテロリストを鎮圧した政府ですが、シク教徒から憤怒の念を向けられることになります。

今回は、「ブルースター作戦」後に起きたインディラ・ガンディー暗殺と、その後にデリーを中心に起きたシク教徒虐殺を中心に追っていきます。

1.ブルースター作戦後

インド政府はブルースター作戦によって、パンジャーブ州でテロを起こし、ゴールデンテンプルを占拠していたシク教過激派グループの掃討に成功しました。この作戦により、軍によるシク教聖地ゴールデンテンプルの一部の破壊や、シク教徒に多くの犠牲者を出したことで、政府へ大きな怒りが向けられることになります。

また、過激派が扇動していたシク教徒の国の建国を謳う「カリスタン運動」は、多くのシク教徒によって支持されていたため、この作戦実行が一部のシク教徒には宗教弾圧と捉えられました。

こうしたシク教徒の感情は、この「ブルースター作戦」の実行を命じたインディラ・ガンディーへの怒りとなり、その後の5カ月後の暗殺へと繋がることになります。ただ、この作戦後に、インディラ・ガンディーは、シク教徒による自身への暗殺の計画を知っていたといいます。

彼女にシク教徒のSPを付けることは危険ではないかという指摘もありましたが、インディラ・ガンディーはシク教徒のSPを付けることが、逆にシク教徒との融和を図る第一歩となると考え、シク教徒のSPの随行を命じます。

このことが、暗殺に直接繋がっていきます。

2.インディラ・ガンディーの暗殺

1984年10月31日、AM9:20頃、インディラ・ガンディーはテレビのドキュメンタリー番組のインタビューを受けながら、外を歩いていました。そして当時、インディラ・ガンディーのSPとして随行していた2人のシク教徒が、突如銃を取り出し、彼女に向けて発砲しました。1人がリボルバーでインディラ・ガンディーの腹部に3発を撃ち、倒れ込んだ彼女に対し、さらにもう1人が、サブマシンガンで30発を発射したといいます。

銃撃後、インディラ・ガンディーはすぐに病院に運ばれ、緊急手術を受けましたが助からず、午後2時20分に死亡が発表されました。彼女の身体には計30発の銃弾が当たり、23発が貫通し、7発が体内に残っていたといいます。

同年11月1日、インディラ・ガンディーはラージガートで火葬されました。

事件後、犯行に及んだSP2人はすぐに武器を捨て「あなたがすべきことをするように、私は私のすべきことをした」と話しています。

この2人のSPのうち1人は、10年来のインディラ・ガンディーのお気に入りのSPとして彼女に仕えており、もう1人は同年5月からSPとして仕えていたといいます。

その後、彼らは1989年に絞首刑が執行されています。

3.反シク暴動

インディラ・ガンディー暗殺のニュースは全インドに駆け巡り、シク教徒へ向けた怒りが、インド中で爆発することとなります。特に、暗殺の起きたデリーにおけるシク教徒への暴動は、凄まじいものでした。

この暴動によって、デリーで約2800人シク教徒が虐殺され、全国を合わせると33が虐殺されたと、インド政府によって発表されています。しかし、一部メディアからは8,000~17,000人の犠牲者を出しているとの指摘もされ、政府発表を疑問視する声も上がっています。

また、この暴動は組織化されたとの指摘もあり、当時の与党国民会議派デリー警察が暴動を扇動、組織化をし、積極的に共謀したといわれています。この暴動の被害者・生存者の多くが事件後に、被害を訴えようにも警察の助けもなく、放置され続けたと話しています。関与した政府関係者などを、目撃証言や証拠を基に告訴しても無罪となるなど、多くの被害者が失望させられたといいます。

近年、この暴動は再び検証され、次のような指摘がされました。

  • 政府は事件後、説明責任を果たさず逃げてきた
  • 政府は「暴動」という言葉を使うが、これは「虐殺」である

その後、政府は暴動ではなく虐殺であったことを認めていますが、国民会議派や警察の共謀は明らかになっていません。

4.その後のシク教徒の分離独立運動

ブルースター作戦とその後のシク教徒虐殺は、インド国内外のシク教徒の反発をより高め、パンジャーブ州内での暴動を継続的に起こすきっかけとなってしまいました。そしてこの暴動を支援する動きが、国外のシク教徒の間で生まれ、資金や武器などの援助がされているといいます。

以下、シク教徒虐殺後に、パンジャーブ州で起きたシク教徒過激派によるテロ・暴動の大きな事件を紹介します。

  1. 1986年、ゴールデンテンプルを再び占拠し、1990年初頭の鎮圧まで続く
  2. 1987年、ヒンドゥー教徒の乗るバスが襲撃され、32人が殺害される
  3. 1991年、列車爆破により80人が殺害される
  4. 、警察と過激派との対立は激しくなり、警察の家族が襲われる事件が多発した
  5. 1995年、パンジャーブ州知事が自爆テロで殺害される

過激派によるテロが頻繁に起きるため、多くのヒンドゥー教徒が恐怖から、パンジャーブ州外に脱出することになったといいます。

また、以前はカリスタン運動を支持していたシク教徒の人々も、その暴力を恐れ、運動への支持は減っていくことになりました。そして、こうした混乱によって、パンジャーブ州の経済は混乱・停滞していきました。

過激派への支持は限定的なものとなりましたが、活動は続いています。そして近年においても「カリスタン建国」が宣言されるなど、不穏な動きをみせています。※

5.シク教徒の分離独立運動⑤:インディラガンディー暗殺とその後のまとめ

インディラ・ガンディー暗殺と、その後のシク教徒の虐殺、その後も起こり続けるテロなど、なぜここまで憎しみの連鎖が起きてしまうのか、日本人の私には理解できません。ムスリムとヒンドゥーは歴史的な対立もありますが、シクとヒンドゥーはインド独立まで、良好な関係を築いてきました。

最初はあくまで、シク教のための州の建設というところから始まったシク教徒の運動は、独立後の不満の積み重ねや、政治的要求の成功体験が、さらなる大きなフェーズへと問題を移し、テロや首相暗殺にまで発展してしまいました。

そして現在においても、シク教過激派の活動は残り、テロリストとして活動しています。

現実的に、シク教過激派がインド社会で平和的な道を選んでくれることを願って、一連のシク教独立運動に関する記事を〆たいと思います。


※2015年頃に「カリスタン建国」が宣言されており、活動の継続はされていますが、目だった動きは見せていません。

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