シク教徒の分離独立運動④:ブルースター作戦

シク教徒の分離独立運動④:ブルースター作戦

前回の記事では、シク教徒の国家建設を求める「」と、それを取り入れ、政府に要求をしたカリスマ的過激派指導者ビンドランワレーの動きを中心にみてきました。シク教貧困層の出現や社会の変化が、過激派の思想に共感を向ける人々を生むきっかけとなったのでしょう。

今回は、過激派のリーダー、ビンドランワレーが占拠し、籠城したゴールデンテンプル解放に向けた軍事作戦「ブルースター作戦」についてみていきます。この軍事作戦がきっかけで、多くのシク教徒は政府に憎しみを向けることになり、後のインディラ・ガンディー暗殺のきっかけとなっていきます。

1.ブルースター作戦直前の動き

ブルースター作戦は、アムリットサルにあるゴールデンテンプルを占拠した、ビンドランワレー一派を逮捕・掃討するための、軍事作戦のコードネームです。

この作戦には2つの目的があります。

  1. ゴールデンテンプルを占拠した過激派の鎮圧
  2. パンジャーブ州に散らばる過激派の掃討

この作戦によって、パンジャーブ州でテロの主導的役割をしていたカリスマ指導者ビンドランワレーを含め、493人が殺害されました。この作戦は1984年6月1日から6月8日の間に行われ、首相のインディラ・ガンディーによって決定されています。

1982年からビンドランワレー一派のテロ行為は激しさを増し、多くの人々が殺害されてきました。1983年7月からはゴールデンテンプルを、武装化した私兵ととも占拠し、活動の拠点としています。そして1983年10月、政府によってパンジャーブ州に非常事態宣言が出されます。

テロが激しくなる中、警察がゴールデンテンプルに介入できなかった理由は、次の通りです。

  • ビンドランワレーは、シク教徒からカリスマ的人気を得ていた
  • 警察では制圧が難しく、制圧には軍隊の力が必要と考えられた
  • ゴールデンテンプルはシク教徒聖地であり、血が流れることでさらなる反発を招くことを恐れた

こうした理由から、政府はビンドランワレーとの交渉を余儀なくされます。しかし、ビンドランワレーカリスタン建国を求め、テロ行為の停止には一切応じませんでした。そして1984年5月26日、政府は交渉を打ち切ります

なお、この交渉の過程でビンドランワレーは、自身の行為は誰とも協調したものではなく、個人の意思に従ったものであると話し、シク教徒の政党・アカーリー・ダルも関係ないとしています。

また、ビンドランワレーパキスタンからの支援を受け、約1000人の特殊部隊パンジャーブに送られ、テロ行為の扇動などが行われていたこともわかっています。

2.ブルースター作戦の実行

1日、インディラ・ガンディーは、ブルースター作戦の実行を命令します。

3日には、軍隊ががゴールデンテンプルを取り囲み、過激派への投降の呼びかけが始まりましたが、投降はありませんでした。この時の呼びかけは、この軍隊の行動がシク教徒への敵対行為ではなく、テロリストを鎮圧するための行動であることを強調した上で、投降を呼びかけたといいます。

そして同5日に、軍隊と過激派の衝突が起こります。軍隊は過激派の所有する重火器をはじめとする武装を、過少評価していたといわれています。過激派はゴールデンテンプルを要塞化し、対戦車を想定した装甲貫通弾やロケットランチャーなどを準備しており、軍の進行に対し、激しい抵抗をみせました。

ビンドランワレーは、ゴールデンテンプルの敷地内にあるアーカル・タクト(Akal Takht)に籠城し、そこから指示を出し、部下に軍との戦闘を指示しています。

当初、軍は過激派の鎮圧を短時間でできると想定していましたが、ゲートの強固な封鎖や想定以上の装備のため、短時間の制圧に失敗し、犠牲者を多数出してしまいます。しかし、軍はその圧倒的な戦力で、徐々にビンドランワレーへの包囲を狭めていきます。

6日ビンドランワレーが籠城していたアーカル・タクトに向け、戦車隊の砲撃が行われ、彼は死亡することになりますが、最後の1人になるまで抵抗は止まらなかったといいます。

建物の倒壊は防げましたが、この砲撃によって寺院は壊滅状態になりました。

そして7日、塔内部でビンドランワレーの死が確認されます。その後、地下などに隠れていた残党狩りが行われ、ブルースター作戦は終了します。

過激派は人間の盾として、寺院を訪れたシク教巡礼者を閉じ込めたため、多くの民間人犠牲者も出ています。ビンドランワレーはまた、数千にも上る民間人を敷地内に残すことを強制し、軍の侵攻の邪魔をしようと考えました。この軍事行動によって、軍の犠牲者は83人シク教側は「人間の盾」とされた民間人を含め、493人の犠牲者を出しています。

軍隊を用いて民間人の鎮圧を行ったこの作戦は、前例のないもので、軍事作戦としては成功でしたが、政治的には失敗であるとの評価が一般的となっています。

3.シク教徒の分離独立運動④:ブルースター作戦のまとめ

「ブルースター作戦」実行当時のパンジャーブ州は、テロ行為が頻発し、緊張は異様なほど高まっていました。政府は、テロを起こし続ける過激派への対処に、動かざるを得なかったというのが実情なのでしょう。

作戦実行においても、過激派側は、ただのシク教徒の参拝客を「人間の盾」として時間稼ぎに用いたなど、日本人の感覚的に、彼に一切の共感を感じることはできません。しかし、パンジャーブ州のシク教徒が、政府のこの作戦実行に憤慨したというのは、宗教だからと割り切るしかないのでしょうか。

次回の記事では、「ブルースター作戦」後に起こる、インディラ・ガンディー暗殺と、その後に起こるシク教徒虐殺を中心にみていきます。

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