リライアンス財閥:ディルバイ・アンバニとリライアンスの歴史

リライアンス財閥:ディルバイ・アンバニとリライアンスの歴史

インドでは誰もが知る、3大財閥の一角を占めるのがです。そしてリライアンスは、創業者一代で今の地位を築き上げたことでも知られています。

今回は、その創業者であるディルバイ・アンバニ(Dhirubhai Ambani、1932-2002)氏の人生と、リライアンスの歴史を辿っていきます。

1.ディルバイ・アンバニとリライアンス

1-1.幼少期

ディルバイ・アンバニは、一代でインドを代表する3大財閥の一角へと急成長を遂げた、リライアンス財閥の創業者です。彼はグジャラート州にある村の教師の息子として生まれ、裕福ではない家で育ちました。そのため、彼は幼少期から親の命により、日銭を稼ぐために、様々なものを売っていたといいます。

彼の住む地域は、藩主がムスリム、住民の8割がヒンドゥーという構成であったため、パキスタン分離独立の際には、藩主がパキスタン帰属を一方的に宣言したことに、住民は猛烈に反発をしました。

この反対運動のリーダーの1人として活躍したのが、ディルバイです、住民の扇動に成功し、ムスリムの藩主はパキスタンに逃げ出すことになりました。この運動の際の彼の活躍は目覚ましいもので、若くしてそのリーダーシップは卓越したものであったといわれます。後に彼は当時のことを「最も興奮した時代」であったと話しています。

1-2.アデン

16歳の時、ディルバイは兄と、イエメンのアデン港へ出稼ぎに出ることになります。海外で商業や貿易を学ぶことは、これらのコミュニティの伝統であったといいます。

この時に彼が勤めた会社は、当時の紅海エリアで最大の商社、フランス系の「アーベス」です。彼はこの会社でアラブ系・ユダヤ系・インド系など各国の貿易を観察し、様々なものを学び、その後の成功につながる経済に関する知識を、自身で咀嚼していったということです。

当時の彼を知る友人は、途轍もない野心家で、リスクを恐れることはなかったと話しています。また、人懐っこく陽気でありながら、利益のためには相手を切り捨てることも厭わなかったといいます。

1-3.リライアンス財閥のスタート

1958年、アンバニはアデンを離れ、インド・ボンベイに戻り、親戚とのパートナーシップを得て貿易会社、「Majin」を設立します。この会社が、後のリライアンス財閥の「はじめの一歩」といわれ、小さな事務所で1つの机に椅子が3つ、電話が1つしかなかったという話は有名です。

当初は、イエメンへの香辛料の輸出を中心とした小規模なものでしたが、糸の貿易にも参入していきます。会社が軌道に乗り始めると、196、アンバニはビジネス観の相違から、親戚とのパートナーシップを解消します。

そして1966年、アーメダバードにNaroda Textile Unitという化学繊維工場を設立し、高品質を可能とする機械を導入し、リライアンス製造部門へと引き継がれていきます。この工場の設立を機に、商社から製造業へと軸足を移していきます。

彼はリスクマネジメントをいち早く取り入れ、在庫管理を徹底することで、利益の最大化を目指しました。また、この工場で生産された衣服は、富裕層向けの高品質なもので、爆発的な売り上げを出したといいます。

タタ財閥は綿、ビルラ財閥はジュートの大成功を基に拡大したように、リライアンスは化学繊維の大成功によって、財閥形成の基礎を作ることになります

そして1973年、リライアンス・インダストリーズが設立されます。一般的にリライアンス・インダストリーズ設立が「リライアンス財閥」のはじまりとされています。

1-4.事業拡張と創業者の死

その後も高級衣料分野を中心に成功を続け、新たな工場も増やしていきます。

1982年、ポリエステルの製造をはじめ、さらなる事業拡大につながります。そして、アメリカのデュポン社の支援を得て、インド国内の化学メーカーとしての地位も確立していくことになります。

1980年のインド国内の企業の売り上げランキング100位にも入っていなかったリライアンスは、1989年のランキングではタタ財閥、ビルラ財閥に次ぐの売り上げとなっています。

そして経済開放後、リライアンスは更なる躍進をみせます。

1991年、グジャラート州のハジラに製油所の建設をはじめ、設備拡大のために国際預託証書(GDR)を発行し、国際資本市場から約1.5億ドルを調達します。リライアンスは国際資本調達をした、初めてのインド企業となりました

そして1997年、ハジラ石油化学コンプレックスが完成し、その運営が始まります。

その後も様々な分野へと進出する中、この製油事業が軌道に乗った2002年、脳卒中を患い、アンバニはこの世を去りました。アンバニは遺書を残していなかったため、跡を継いだ息子2人の間で争いが起き、分裂することとなります。

  • 兄ムケーシュは、直系のリライアンス・インダストリーズを継ぎ、エネルギー、石油化学、繊維、、通信業などを譲り受けています。
  • 弟アニールは、リライアンス・アニール・ディルバイ・アンバニ・グループとして、金融サービス、建設、エンターテイメント、電力、製造、輸送サービスなどを譲り受けています。

2.リライアンス財閥:ディルバイ・アンバニとリライアンスの歴史のまとめ

タタ財閥が代々受け継ぎ、事業を拡大してきたのに対し、リライアンスはディルバイ・アンバニ一人で築き上げた財閥です。現在は3大財閥の1つのビルラが少し元気がないので、タタとリライアンスがインドの2トップの会社といえます。

世界長者番付にも、リライアンスの跡を継いだ兄弟2人がたびたび登場することから、インド人の憧れの的にもなっています。

2つに分裂しても、世界でもトップクラスの資産を持つ会社となっているリライアンス。

次回の記事では、リライアンスの跡を継いで分裂をさせた兄弟、モケーシュとアニールについてみていきます。機会があれば、跡継ぎ2人の喧嘩の話も紹介します。

BlogMuraFC2BlogRanking

VISITORS HERE:1,926, HOLI GREEN TOTAL VIEWS : 3,507,031

Previous(down)/ Next(up)
両者は激しい対立をし、批判合戦を行い、ゴシップ的に多くのインド人の注目を集めました。
積極的な企業買収を行い、グループの規模を拡大しています。