インドの国境問題:パキスタン

インドの国境問題:パキスタン

今回は、インドとパキスタンの国境にまつわる問題と、係争中の地域についてみていきます。

1.インドとパキスタン

イギリス植民地時代、イギリスはムスリムとヒンドゥー教徒の対立を煽る統治をすることで、不満のはけ口を互いに向けさせ、団結による強国化を防ごうとしてきました。ベンガル分割令コミュナル裁定などが、有名な分断のための政令です。こうした統治により、マジョリティのヒンドゥー教徒と、マイノリティのムスリムの分断は進みます。

多くの死者も出した、その激しい対立のために出された解決案が、ムスリムが多数派となっている地域の、パキスタンとしての分離独立です。そのため、パキスタンの独立時も、インドと協調することは難しかったといいます。

日本のニュースでも、定期的にカシミール地方でのテロや、インド・パキスタン軍の衝突を報道されるため、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。この問題は、パキスタン独立時の宗教対立など、複雑な問題も絡んでいます。

1947年のインド・パキスタンの分離独立以降、両国は3度にわたり戦争を起こしています。両国の対立は、パキスタンがインドから分離独立をした際の、国家建設の理念への、相互不信にはじまっています。

パキスタンはウルドゥー語で「清浄の国」という意味で、現在の正式名称、パキスタン・イスラム共和国の名が示すように、イスラム教国として歩んでいます。パキスタンは独立にあたり、憲法でイスラムの理念にのっとった統治を行う旨を記しております。独立時に、大量のヒンドゥー教徒難民を出すなど、インドとの意思疎通が十分ではなかったことも、インド国内問題として、大きな足かせとなりました。

また独立当初から、カシミールの帰属を中心とした対立が続き、今も解決の目途はたっていません。

2.カシミール地方を巡るインド・パキスタン関係

2-1.第1次インド・パキスタン戦争

インド・パキスタンの対立は、カシミール地方の帰属問題を中心に展開されてきました。

1947年10月、パシュトゥーン族が、当時のカシミール藩王国の領土であったカシミール渓谷に侵入しました。カシミール藩王国は、国王はヒンドゥー教徒でしたが、国民の80%がムスリムであるため、パキスタンの独立後、その立ち位置は微妙なものとなっていました。

そんな中、パシュトゥーン族がカシミール藩王国に攻め入ったため、背後にパキスタンがいるとみた藩王は、インドへの帰属を求め、インドへ支援を要請しました。

その後、インド軍により、渓谷に入っていたパシュトゥーン族が掃討(そうとう)され、翌1948年5月に、パキスタン軍とインド軍の衝突も起きましたが、国連の調停のもとに停戦が成立しました。

パキスタン側の侵攻は、宣戦布告なしに行われいるため、ハーグ条約に違反していることになります。

2-2.第2次インド・パキスタン戦争

1962年の中印国境紛争後、インド・パキスタン関係は、再び悪化していきます。1965年4月、カッチ湿地での両軍の衝突を機に、同年8月、武装ゲリラがパキスタンからカシミール渓谷へ侵入します。

当初、このゲリラたちは、地元住民たちの中に入り、扇動することで武装蜂起につなげ、主要インフラを破壊することを計画していました。しかし、その扇動は失敗し、ゲリラたちの多くはインド軍に連行されています。

パキスタンは、このゲリラたちをあくまでカシミールの「自由の戦士」だとし、関与を否定しましたが、国際的には否定されています。

その後、第1次インド・パキスタン戦争停戦の際に結んだ停戦線を超えて、パキスタン軍がインドに侵入することで、第2次インド・パキスタン戦争が始まります。これ以降、9月まで、ラホールなどで散発した衝突が起きています。

そして9月22日、国連安保理の停戦決議を受諾し、戦争は終わります。1966年1月、ソ連の調停のもと、開戦以前の状況に戻ることで合意しています。この戦争の国際的評価は、総じてインドの圧勝とされています。

第3次インド・パキスタン戦争は、東パキスタン(現バングラデシュ)とパキスタン政府との対立を機に、インドが介入し起こったものなので、今回は割愛します。

3.現在も抱えるパキスタンとの係争中の国境問題

インド・パキスタンの分離独立に際し、カシミール藩王国の帰属をめぐって衝突が起こり、それが両国間最大の係争問題となっています。両国とも国内問題から目をそらさせるために、この問題を利用することがあり、事態をより複雑にさせています。

前述したように、この藩王国の80%がムスリムであるが、国王がヒンドゥー教徒で、国王の独断でインドへの帰属を宣言しました。そのため、ムスリム国家を名乗るパキスタンとしては、地域の80%がムスリムのため、藩王国がなくなるならば、パキスタンに編入されるべきとの主張をしています。

3-1.アザド・カシミールとギルギット・バルティスタン

パキスタンが実行支配するカシミールの地域が、アザド・カシミール(Azad Kashmir)と、ギルギット・バルティスタン(Gilgit-Baltistan)です。

この地と、インドの実効支配するジャンムー・カシミール連邦直轄領とラダック連邦直轄領を巡り、現在もたびたび死者を伴う衝突が起こっています。

また、インドのカシミール地方で、ムスリムの武装過激派がを起こしています。

3-2.シアチェン氷河

ヒマラヤ山脈カラコルム東部にあるのがシアチェン氷河で、インドが実効支配をしています。インド軍が展開する最前線です。

パキスタンもまた領有権を主張し、係争中となっています。

3-3.サルトロ・カンリ

カラコルム山脈のサルトロ山地の最高峰が、サルトロ・カンリです。インドとパキスタンの国境紛争地帯で、インド軍のシアチェン氷河と、パキスタン軍が展開するサルトロ山地西部の、境界となっています。

現在、インドが実効支配しています。パキスタンもまたギルギット・バルティスタンの領域に入ると領有権を主張し、係争中です。

3-4.サー・クリーク

インドのグジャラート州と、パキスタンのシンド州の間にある湿地帯が、サー・クリークです。このエリアには、海底油田や天然ガスが眠っているとされており、経済的価値があると目されています。

この地域は人が住める土地ではなく、インド・パキスタンともに領有権を主張し、係争中です。

4.インドの国境問題:パキスタンのまとめ

インド・パキスタンの対立の根源は、宗教対立にあるように思えます。分離独立以前のインド国内の宗教対立は、多くの悲惨な事件を引き起こし、マイノリティであったムスリムが被害者となることが度々ありました。

パキスタンそうした対立の末に独立したので、インドとの関係がうまくいかないのも仕方がないのかもしれません。この問題は個人的も興味があるので、また面白いエピソードがあれば紹介させていただきます。

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