首狩り族の独立運動:ナガランド紛争

首狩り族の独立運動:ナガランド紛争

前回の記事では、ナガランド州の特色や、「首狩り」の宗教的意義などを紹介しました。怖いけれど、興味を掻き立てられるナガ族ですが、かれらは民族の独立を期し、激しい独立運動をしています。

今回は、その「首狩り族」ことナガ族の歴史と、かれらの独立運動について紹介します。

1.ナガ族の歴史

ナガランドとは、その名の通り「ナガ族の土地」という意味で、多くのナガ族が暮らし、かれらの独立運動の舞台となっています。

ナガ族はかつては「首狩り族」とも呼ばれ、とても好戦的な部族として知られていました。

ナガ族が、いつからナガランドの地域に定住をしたのか、正確には明らかになっていませんが、13世紀以前には、すでにインド北東部にいたようです。

1-1.イギリスによる統治と民族意識

ナガ族はイギリス植民地以降、イギリスとの衝突で、その存在が知られて行きます。アッサム州で、茶畑などを運営していたイギリスの会社を、ナガ族が幾度となく襲撃したためです。

イギリス政府は、この「首狩り族」の襲撃に怯え、1839年から1850年にかけて、10回に渡って軍を派兵、激しい衝突を繰り広げます。そして、その後イギリス政府はナガ族と和解をし、かれらに対し不干渉と敬意の念を示しています。

しかし、その後も、ナガ族による襲撃は続きました。

イギリス政府も耐えていましたが、1879年、ついに重い腰を上げ、ナガ族の弾圧へと乗り出します。ナガ族は、イギリスの軍事力により抑えられ、イギリスの統治機構へと組み込まれることで、その生活は変化していくことになります。

イギリスの統治下に入ることによって、ナガ族の多くがキリスト教へと改宗をしました。

1-2.民族意識の覚醒

イギリス統治下に組み込まれ、ナガ族は自治を求めながらも、以前のような好戦的な動きは影を潜めていました。

そんなナガ族の民族意識が高まるきっかけとなったのが、1929年のサイモン委員会です。この委員会によって、ナガ族は、イギリスから自治権を与えられることになったのです。

自治権を得たナガ族は、激しい運動にはなりませんでしたが、イギリスからのインド独立に向けての大きなうねりの中で、自身の民族による独立国家設立を求め始めます。

これ以降、1947年のインド独立まで、ナガ族の自治は続き、民族アイデンティティをより意識していくことになります。

2.ナガ族の独立運動

インド独立にあたり、ナガ族たちはインド新政府と、ナガ族の自治州設立をもちかけましたが、インド政府はそれを拒み、ナガ族はアッサム州へと組み込まれ、自治権保護政策を行うことで合意しました。

しかし、アッサム州の中に組み込まれたことに対し、反発をするナガ族が現れ、独立運動が活発化するきっかけとなってしまいます。

この、ナガ族の高度な自治・独立を求める動きは、独立前から続くものであるため、パンジャーブ州のシク教徒とともに、インドでもっとも古くから続く独立運動の1つと考えられています。

独立後のナガ族の指導者ピゾによると、ナガ族の99%が独立を求めていたといいます。こうした一連の動きは、ナガランド(民族)紛争とも呼ばれています。

独立以降の活動は、暴力を伴い、政府との衝突にも繋がってしまいました。ナガ族は、政府機関の襲撃や銀行強盗、税金不払い、テロ行為などを行い、軍の出動まで招いています。

こうした過激化した活動の武器や資金の出所として、パキスタン中国の関与が指摘されています。

パンジャーブ州のシク教徒の過激派への援助が、中国などから行われていたといわれているので、インド国内の混乱を目論んだ動きということなのでしょう。

こうした状況に政府は折れ、政府はナガ族のための自治州、ナガランド州建設へと舵を切ります。そして、ナガ族指導者との綿密な折衝の後に、1963年ナガランド州が成立しました。

しかし、その後も、ナガ族の反政府民族主義者たちによる暴動や扇動は続きました。が、1972年に、ナガ族と政府の間で結ばれた和議(わぎ)以降、ナガ族内部の対立や分裂が表面化していきます。

表立っては、解決に向けて話し合いが継続されていますが、ナガ族過激派による暴力事件も起きており、問題の根本的な解決の目途はついていません。現在も治まる気配はなく、政府との衝突や部族内の衝突などで、毎年10人前後の犠牲者を出し続けているといいます。

3.首狩り族の独立運動のまとめ

首狩り族の独立運動ということだったので、もっとホラー映画のような事件があるかと期待(?)したのですが、かれらの独立運動で首を狩られたという話はありませんでした。首狩り族としての本領を発揮していたのは、イギリス植民地時代初期くらいまでだったのかもしれません。

機会があれば、かれらのホラー映画のようなエピソードも探してみたいと思います。

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手洗いで洗濯をして生計を立て、その家族、約200世帯が暮らしています。
皇帝は日毎夜毎、白亜の廟を望んでは、王妃を偲んで泪したとか。