マニプール州と分離独立運動

マニプール州と分離独立運動

マニプール州をご存知でしょうか?マニプール州は、紅茶で有名なアッサム州に隣接し、インド北東端に位置しています。

マニプール州は、近年、独立を要求する諸武装グループの活動が活発となり、しばしば軍隊との衝突が起きています。2015年には、軍隊が武装グループのキャンプを襲撃し、158人の過激派を殺害しています。

今回は、マニプール州と、現在も落ち着いていない武装グループの動きについて紹介します。

1.マニプール州ってどんな州?

マニプール州は、インド北東端に位置します。マニプール州の面積は約2.23㎢、人口は、2011年の最新の国勢調査によると約272万人、州都はインパールです。

マニプール州は、南北に走る、標高1500~2000mの山地群からなり、中央には、州都のあるインパール盆地があります。

住民は、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派の言語を話す、モンゴロイドです。

北部のナガ丘陵には、「首狩り」として有名なナガ族ナガ系諸民族)が暮らし、階段耕作を営んでいます。

南部のチン丘陵には、クキ族(クキ・チン系諸民族)が暮らし、移動をしながら焼き畑農業を営んでいます。

人口の約3分の2が、中央の盆地で暮らし、同州の主要部族であるメイティ族約150万人が暮らしています。メイティ族は、マニプール語を使い、ヒンドゥー教徒キリスト教徒が多くいます。

農業は米作が主体となっており、丘陵斜面には近年、果樹栽培が増えつつあります。森林部では、竹やチークもあり、伐採されています。

工業は、マニプール手織り綿布が有名です。

歴史的には、同地域に侵入してきたビルマ族からの助けを、イギリス植民地政府の求めたことをきっかけに、イギリス政府の保護下に入ります。そして、イギリスの保護のもと、1834年に、マニプール藩王国が成立します。

1944年には、インパールを目指す日本軍が侵入し、衝突が起きています。

インド独立後は、連邦直轄地を経て、1972年にマニプール州となりました。

2.分離独立運動

現在も続く、マニプールの分離独立運動は、インド独立の際に、当時のマニプールの藩王が、住民の合意なしに、インドへと編入されることを決めてしまったことに起因します。

当初は、論争から始まった帰属問題ですが、論争は民族意識を高め、次第に激しい運動も登場するようになります。こうした運動は、武装グループ統一国家解放戦線(UNLF)の登場を機に、より激化していきます。

2-1.武装グループ諸派の登場

1964年に設立された、統一国家解放戦線は、「新国家設立」を宣言しています。これ以降、マニプール州では、部族の自治の要求など、そなざまな団体が起ち上がり、暴力的な活動をはじめ、この地域は混乱していくことになります。

そして1972年に、国はマニプール州を設立し、独立を要求している団体の留飲を下げさせようとしますが、そうした団体の活動は、独立に向け、一層熱を帯びることになりました。武装グループは、政府系の施設(行政や警察など)の襲撃や銀行強盗、そして政府要人を誘拐し、拷問を加えた末に殺害をするなど、時間が経つにつれ、過激さは増していったといいます。

こうした武装グループのいくつかは、中国から、武器や訓練などの支援を受けていることが、ヒューマン・ライツ・ウォッチにより指摘されています。

こうした、様々な団体が起こす犯罪行為は、それぞれが独立しているため、事態の鎮静化は難しく、政府は対応に苦慮していました。この混乱を鎮めるため、政府は非常事態宣言に準ずる宣告を、この地域に発し、軍の派遣を可能にします

2-2.現在の動向

現在も続く、マニプール州のこうした武装グループの運動の特徴は、組織的情報ネットワークをもつことだといわれています。情報のコントロールの重要性を認識しているため、反体制派グループ同士の対立や、地元警察との対立などを避け、民衆の反発をかうような行為は行わないように、統制されているといいます。

かれらの運動の成功には、民衆の支持が必要だと考えたためのようです。

こうした武装グループは、国道などに「検問所」を置き、金銭を要求することで、資金源としています。そうした資金を流用し、寺院、教育機関、経済活動を行う企業などを設置し、経済的自立と教育によって、自身の考えを広める活動を続けています

本来違法である行為も、なかなか取締りの対象とはならず、野放しとなっています。

現在も、中国などからの支援が続いているかは、定かではありません。

2-3.近年起こした暴力事件

近年、武装グループの起こした、様々な事件をみてみましょう。

  • 2001年、インド軍と衝突をし、武装グループ5人が殺害される
  • 2003年、国境警備隊を襲い、軍人5人を殺害する
  • 200、武装グループのキャンプが捜査を受け、大量の重火器が押収される
  • 2011年、襲撃により、8人の公務員が殺害される
  • 2013年、インパール市内の移民労働者を収容するテントが爆破され、9人が死亡する
  • 2015年、同年に起きた武装グループ3名が、治安部隊によって殺害された報復で、軍隊を襲撃し18人を殺害、その後、軍隊のさらなる報復によって、武装グループのキャンプが制圧され、158人の過激派が殺害される
  • 2016年、インド軍予備役6人を襲撃し、殺害する

以上のように、現在も落ち着くことはなく、軍との衝突・襲撃は頻繁に起き、多くの死者を出しています。

3.マニプール州と分離独立闘争のまとめ

インドの暴動系のニュースは興味深いので、いつも時間があるときにチェックしますが、マニプールのこうした動きは、ハードなものが多いようです。インドでは通常は、警察や対立コミュニティとの衝突が主ですが、マニプールの過激派は、軍隊とやりあっています

訓練されている軍隊を襲撃し、殺害する。武装グループ側の練度が、恐ろしく感じます。

武装グループの背後には、中国の支援があるとの情報も、なかなかなインパクトがありました。また機会があれば、マニプールの武装グループの、もう少し突っ込んだ話を紹介したいと思います。

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インド国民軍の行った戦争行為は、イギリス支配への抵抗であり、正当性のあるものだと主張をしています。
手洗いで洗濯をして生計を立て、その家族、約200世帯が暮らしています。