ヒンドゥー文化の完成の土地:クルクシェートラ

ヒンドゥー文化の完成の土地:クルクシェートラ

クルクシェートラ(Kurukshetra)という地域をご存知でしょうか。デリーから約150㎞と、近い場所にあるのですが、日本人にはマイナーな場所です。

ただ、この場所は、インドの歴史・文化において、大変重要な地域となっているんです。今回は、クルクシェートラについてみていきます。

1.クルクシェートラ

クルクシェートラ(Kurukshetra)は、インド北部ハリヤーナー州東部の地域です。

BC1500年頃、アーリヤ人が侵入、この地に定住します。

そして、アーリヤ人はクルクシェートラを中心に、先住民族の文化や信仰を、自文化に融合させていき、ヒンドゥー文化の土台を確立させ、インド全土へと広がるとともに、多様な文化を形成していったのです。

また、ヒンドゥー2大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』において、この地を舞台にした壮大な戦争が描かれているため、クルクシェートラは「マハーバーラタの地」とも呼ばれています。

『マハーバーラタ』において、2大勢力として描かれるパーンダヴァ(Pandava)とカウラヴァ(Kaurava)が、この地で戦ったと記されいます。

この地の名前、クルクシェートラは、2つの勢力の祖先であるとされるクル王(King Kuru)に由来します。

クルクシェートラの北には、聖なる川として知られるサラスヴァティー川が流れており、沐浴場巡礼地が多くあります。特に、日食の際には、多くの巡礼者が沐浴をしに来ることで、知られています。

また、クルクシェートラ行政は、この地が聖地であることを理由に、宗教的浄性(ヒンドゥー教は浄・不浄が極度に発達した宗教といわれています)を維持するため、肉の販売・所持・消費を禁じています(酒類は売られている)。

インド・パキスタン分離独立後、パキスタンからクルクシェートラへと、多くのヒンドゥー教徒の難民が居留し、クルクシェートラは難民キャンプの場となりました。その数は約30万人にも上り、大きな街を形成していくことになり、現在の人口は90万人を超えています。

難民の流入により、貧困、衛生、インフラなどの問題もありました。

2.クルクシェートラ戦争

クルクシェートラ戦争は、『マハーバーラタ』の中で、壮大なスケールで描かれているパーンダヴァとカラヴァとの間の戦争をさします。

2-1.パーンダヴァ

パーンダヴァは、『マハーバーラタ』において、主役として描かれている5人の兄弟(パーンドゥの子たちの意)をさします。

物語の中では、パーンダヴァは、インドラ神(ヴェーダ時代最大の支持をえていた神、雷神)の生まれ変わりとされ、5人の共通の妻であるドラウパディー(Draupadi)は、ラクシュミー女神の生まれ変わりとされます。

また、パーンダヴァたちの父、パーンドゥは、呪いにより、女性に近づけなかったため、かれらの本当の父は、神々として描かれています。

5兄弟の1人、ビーマは、のちに覇権をかけて争うカウラヴァたちを、少年期に酷くいじめてしまい、大きな恨みをかうこととなります。

その後、カウラヴァの策略で、兄弟たちは国を追い出されることになり、国の復興のために、カウラヴァと争っていきます。

2-2.カウラヴァ

カウラヴァは、『マハーバーラタ』において2大勢力の1つとして、主人公のパーンダヴァたちと敵対する勢力として、描かれます。

盲目王ドゥリタラシュートラ(Dhritarashtra)と王妃ガーンダーリー(Gandhari)の間に生まれた100人の王子が、カウラヴァです。

長男のドゥルヨーダナ(Duryodhana)がトップとなり、他の兄弟たちが力を貸し、パーンダヴァたちと争っていきます。

カウラヴァたちは幼いころ、パーンダヴァに酷いいじめを受け、大きな恨みを抱くようになります。

そして、カウラヴァたちは、パーンダヴァを脅威に感じ、罠にはめ、陥れることで、国から追放します

これがきっかけで、パーンダヴァとの間に、戦争が起こります。

2-3.クルクシェートラ戦争

クルクシェートラ戦争は、マハーバーラタ戦争とも呼ばれる、『マハーバーラタ』最大の盛り上がりを見せる物語です。

この戦争は、パーンダヴァとカウラヴァの間で起こった、王位継承をかけた戦いです。

戦いの舞台は、北インドに実在するクルクシェートラで、わずか18日間の戦いであるにもかかわらず、物語の4分の1(6-10巻、全18巻)を占める文量となっています。

この戦いでは、双方の英雄が、様々な武器・軍略を用いて展開していき、背後で行われている外交軍議なども描かれます。

戦争は、パーンダヴァの勝利で終わり、カウラヴァたちは全滅しました。

以降、『マハーバーラタ』は、戦争の処理と、王子が死に至るまでの後日譚が描かれていきます。

ちなみに、この戦争は、カリ・ユガ期(ヒンドゥーの終末思想)に起きた戦争だと、考えられています。

3.ヒンドゥー文化完成の地:クルクシェートラのまとめ

クルクシェートラは、多くのインド人にとっては「マハーバーラタの地」というイメージです。『マハーバーラタ』の中には、この地の名前がしっかりと出ており、聖地として、多くのインド人の興味を引き付けます。

一方、ヒンドゥー文化は、クルクシェートラを中心に広まった、クルクシェートラは、ヒンドゥー文化が完成した土地、といわれても、漠然としており、インド人には、いまいちピンとこないようです。

また機会があれば、ヒンドゥー文化の、歴史的に重要な地域を紹介したいと思います。

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