「ゲットー」と呼ばれるムスリムの街:ジュハプラ

「ゲットー」と呼ばれるムスリムの街:ジュハプラ

グジャラート州アーメダバードに、ムスリムの「ゲットー」と呼ばれる地域があるのをご存知でしょうか。インドの独立以降、この街ではムスリムとヒンドゥ―の衝突がたびたび起きており、多くの死傷者を出してきました。

この「ゲットー」は、そうした被害に遭ったムスリムの、逃げ場となってきたといいます。

そこで今回は、アーメダバードのジュハプラ(Juhapura)地区が「ゲットー」呼ばれるに至った、背景をみてみたいと思います。

1.「ゲットー」って何?

ゲットーという言葉は、ナチのもとにユダヤ人を強制隔離をした居住区、というイメージがありますが、4つの使われ方をするようです。

  1. ナチが第2次世界大戦中に、ユダヤ人を強制移住させた地区
  2. 中世ヨーロッパで、ユダヤ人が強制された居住区、非キリスト教信仰者への政策
  3. (ユダヤ人差別政策がとられた)ユダヤ人が、自己発生的に居住を始めた地域
  4. (アメリカの黒人街ハーレムのような)少数民族をはじめとした、特定の社会集団が住む地域

いずれも、ポジティブな使い方はされていません。

今回の記事で紹介する、アーメダバードのジュハプラは、③や④に近い文脈で「ゲットー」と呼ばれているようです。

2.ジュハプラってどんな場所?

ジュハプラは、グジャラート州の工業都市アーメダバード、New West Zoneのモスク・サルケージの近くに位置します。この地域は1973年、サバルマティ川で起きた大洪水によって、多くの人々が住居を失うなど、甚大な被害を受けたのを機に、支援目的で開発されています。1975年9月末までに、約2250戸の住宅、上下水道などのインフラ、街頭などが作られました。

当初、この地域は、自力で洪水の被害から立ち上がれない貧困層を想定して建設されており、一般的にスラム出身の、経済的に苦しい状況の人々が、この場所に移り住むことになりました。

また、この地域はイスラムの有力モスクのすぐ近くということもあり、居住者の多くはムスリムとなっています。

元来この地域は、貧困層を中心に建設された地域で、人口は決して多くありませんでしたが、1985年からアーメダバードで起きた、ヒンドゥーとムスリムの衝突に怯えた多くのムスリムが、この地域に流入してきました。

貧困層でないムスリムの流入により、この地域の拡張と建築ブームが起き、この地域の土地や住宅の価格は急上昇しています。1975年当初は、貧困層の暮らす地域でしかありませんでしたが、現在は、病院や学校、市場なども建設されています。

こうした動きは、この地域で起きたヒンドゥーとムスリムの対立に起因しており、地域内での自給自足を目指そうという声もあります。

暴動・衝突が起きるたびに、ムスリムの流入が増えており、2015年には人口を超えています。

3.1985年の暴動

ジュハプラの周囲は有刺鉄線と壁で囲われ、まるで外部の人間を拒むかのような作りとなっています。

外部との接触を恐れるきっかけとなった、1985年の暴動を紹介しましょう。

3-1.1985グジャラートの暴動

1985年2月~10月まで、アーメダバードを中心に、ヒンドゥーとムスリムの衝突が起き、275人の死者を出し、数万人の人々が避難を余儀なくされました。当初、この暴動は留保議席にまつわる、ヒンドゥー教徒内の対立でしたが、次第に敵意は、ムスリムに向けられるようになります。

ムスリムへの敵視は、この地域で従来から、衝突が起きてきたことに起因しているようです。

例えば1969年、ヒンドゥーとムスリムの間で衝突、660人が死亡する暴動が起きています。

3-2.暴動とジュハプラ

1985年の暴動では、ムスリムの住居などに石や火炎瓶が投げ込まれるなど、安心して暮らすことができない人々が多くいました。当時のアーメダバードは、「ムスリムが多く暮らす地域」はありましたが、必ずしもムスリムだけでなく、ヒンドゥーも混在するのが通常でした

逆に、ヒンドゥーが多く暮らす地域の中にも、ムスリムが暮らすこともあり、そうしたムスリムの多くが、その場から逃げることを選んだといいます。ヒンドゥーとの接触を拒んだ多くの人々が、ムスリムが暮らすジュハプラを安住の地として選び、流入してきました。

こうした経緯で、ジュハプラにムスリムが集まったため、「ゲットー」と呼ばれるに至ったようです。

4.「国境の内側」で暮らす人々

ジュハプラで暮らす人々は、ジュハプラの周囲を囲む壁や有刺鉄線のことを「国境」だといいます。かれらにとって「国境」の外は、ヒンドゥーに襲われる危険のある「外国」であるためです。

かれらはジュハプラ内部での自給自足を目指し、学校や病院、市場など、生活に必要とされるものを、自ら作っていったのです。

この地域では、ジュハプラ内部のムスリム・コミュニティと、その外のヒンドゥー・コミュニティで、宗教により生活がされていることが多く、互いに偏見をもってみているため、相互理解が進まないようです。

  • 多くのヒンドゥー至上主義者にとり、ムスリムは外来の宗教を信じる「ヒンドゥー文化」の外にいる存在ととらえます。
  • ムスリム側も、そうしたヒンドゥーの見方に反発し、過激派を生む土壌ができています。

5.「ゲットー」と呼ばれるムスリムの街:ジュハプラのまとめ

ジュハプラという地域が形成され、大きくなった理由は、どれもネガティブなものばかりのようです。この地域のムスリムの置かれた状況の辛さは、想像に難くありません。

アーメダバードは工業都市のイメージが強かったので、こうした負の側面があることに驚きを感じます。機会があれば、この地域の暴動についても詳しく取り上げたいと思います。

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