インドのゴールデン・トライアングル

インドのゴールデン・トライアングル

ゴールデン・トライアングル・ルート

旧い歴史と文化、広大で変化に富んだ風土、多様な民族と芸術、インドの見所はゴマンとありますが、近代的な街並みと古きインドが混在する首都デリー、白亜の霊廟タージマハルを誇るアグラピンクシティー・ジャイプール、この三都市を周遊するルートを「ゴールデン・トライアングル・ルート」と言います。

この中から、デリーとアグラをご紹介します。

首都デリー

まずは首都デリー、インド北部に位置し、人口は約1600万人と大人数ですが、インドでトップはムンバイの約1800万人なんですね。

ちなみに世界一は当然、上海2400万、で2位が北京1900万、10位が広州1200万と、中国がトップテンに3都市もランクインしています、さすがですね。

ところがインドも、3位ムンバイデリー、7位コルカタ1400万と、なかなか頑張っています。意外だったのは6位、イスタンブールの1500万、そんなにいるんだ。

デリーでは、主にヒンディー語・ウルドゥー語・パンジャミー語が、主要三言語として話されています。

古代インド時代・13世紀のイスラム王朝時代・ムガール帝国時代と、変遷を重ねてきたデリーですが、1911年にコルカタからデリーへ、英領インドの首都が移されて以降、独立インドの首都となりました。

ニューデリー

デリーは、オールド・デリーニューデリーの2地区に大きく分かれ、ニューデリーの中心部にあるのがコンノートプレイスです。

イギリス植民地時代の都市計画によって建設されたもので、コンノート侯爵の名前にちなんで名付けられました。

ショッピングセンター・オフィス街・旅行会社・航空会社が立ち並び、デリーで一番活気に満ちたビジネスの中心地です。

お馴染みの複雑に入り交じった所有権・乱雑で無秩序な開発の見本でもあります。それが一種独特の活気の源でもあるのですね。

よくCPと略されます。

オールドデリー

コンノートプレイスを境にした、北側がオールドデリーで、ムガール帝国最後の首都が置かれた地域です。

ムガール帝国繁栄の象徴ラール・キラー(レッド・フォート)や、そこから西へまっすぐに伸びている大通りは、デリーの浅草の別名を持つチャンドニー・チョウクです。この辺りが、オールドデリーの中心部で、北側にはデリー駅があります。

丘の上には、インド最大級のモスクであるジャマー・マスジッドが聳えていますが、これはムガール帝国第5代皇帝、シャー・ジャハーンが建てたものです。ついでに言うと、ラール・キラーを建てたのも、タージ・マハルを建てたのも、この皇帝です。

このモスクには、悲しい物語が伝わっています。

1857年に起きたインド大反乱で、イギリス軍に追い詰められた反乱軍兵士は、このモスクを死に場所と定め、最後の突撃を行い、全滅したといいます。モスクに続く石段は、勇猛な戦士たちの死骸で埋め尽くされたとか。

皇帝シャー・ジャハーンは、他にも、今に残る壮麗な建物を建て、私たちに当時の素晴らしい文化・建築技術を見せてくれますが、しっかり国庫財政を逼迫させ、国を傾けました。

ノイシュバンシュタイン城を残した、バイエルン王国のルートヴィヒ2世にしてもそうですが、統治者としてはちょっと道を踏み外したような方々、こんな人たちがいればこそ、後世に残る素晴らしい建築物が出来るんですね。

アグラ

デリーから南へ200kmのアグラ、ここはもうタージマハル一択ですね。この名高い霊廟がなければ、ただの一地方都市です。

だいたい名所なんてのは、旅行ガイドブックや写真集で見てる時の方が良くて、実際行ってみるとがっかりが多いのです。しかし、タージマハルだけは真逆でしたね。想像していたよりずっと大きくて、大楼門をくぐると、パッと目に飛び込んでくるのですが、まずそのスケールに圧倒されます。

例の、建築狂皇帝シャー・ジャハーンが、亡き王妃を偲んで作った廟ですが、総大理石造りの、白亜の宮殿と呼ぶのが相応しい建築物です。

そして、この建築物は背景がよい。

ん?どんな背景かって?これが何もない、ただ青空だけ。それも日本の秋のような、澄んだ感じの青空じゃなくて、パステルで塗りつぶしたような青空でした。この何もない潔さが良いんですね。

ヤムナー川沿いの、土手の高台に建っているから、後ろに何も見えないんだと説明されましたが、それを計算に入れて建てたのなら、素晴らしいセンスです。

王妃を偲び泪する皇帝

確かに、国庫を傾けるような大きなお金が必要だったでしょう。

これを建てた例の皇帝シャー・ジャハーンは、大切な国民の金を贅沢に、建築に使ってしまったというので、晩年は塔の中に閉じ込められました

ヤムナー川沿いに、北へ2km上がると、赤砂岩の城壁を持つアーグラ城があり、その中に『囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)』と名付けられた塔があります。

ここに皇帝は、自分の息子の手で閉じ込められたのですが、その塔は、遠くにタージマハルを望める場所で、皇帝は日毎夜毎、白亜の廟を望んでは、王妃を偲んで泪したとか。

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13世紀以前には、すでにインド北東部にいたようです。
首狩りは食人の慣習や、人身供儀などに関連しているといいます。