ガンディーと不可触民問題

ガンディーと不可触民問題

ガンディーがに対して、積極的に活動をしていたことをご存じの方も多いのではないでしょうか。現在も稀にですが、不可触民をさす言葉として使われる「ハリジャン」という言葉も、ガンディーが使い始めたものです。

今回は、ガンディーの不可触民問題の考え方や、その解決方法をみていきたいと思います。

1.ガンディーによる不可触民差別

イギリス植民地期のインドで、不可触民問題に極めて大きな変化をもたらすきっかけとなったものとして、1932年8月に発表された「コミュナル裁定」があげられます。これは、さまざまな宗教をはじめとした社会的カテゴリーにインド人を分け、不可触民などに分離選挙区を与えるといった内容でした。これを機に、多くのインド人の民族意識や、カーストなどをもとにしたアイデンティティへの意識が飛躍的に高まり、それぞれが権利を要求するといったうねりが起きる、大きなきっかけの1つとなりました。

最たるものとしては、パキスタンの分離独立運動が挙げられます。

コミュナル裁定で示された不可触民の分断選挙は、当時、不可触民解放運動の最有力の指導者であったアンベードカルは評価していますが、ガンディーは真向から反対しています。

この発表を受け、ガンディーは撤回を求めてハンガーストライキに入り、以下の考えを発表します。

  • 不可触民はヒンドゥー社会で利益を得ており、コミュナル裁定による分断は、不可触民の利益の侵害である
  • 不可触民問題は宗教の問題であるため、その分離選挙はヒンドゥー社会を分断し、ヒンドゥー教を破壊することにつながる
  • ガンディーは不可触民を代表して話しており、不可触民の地位向上のために必要なのはヒンドゥー社会の意識改革であり、議席によってではない

このようなガンディーの発言は、(不可触民の指導者たちが分断選挙を望んでいたにもかかわらず)分断選挙は不可触民の利益にならないと断じ、ヒンドゥー社会において、不可触民は不可分な存在であるとしています。

ガンディーはこのハンストの理由を、誤った方向に向けられたヒンドゥーの意識を、正しい方向へ向けるために行ったと述べています。

ガンディーは不可触民差別を、次のように述べています。

  • 不可触民差別は、ヒンドゥー文化においてイレギュラーなものである
  • ヒンドゥーの伝統へ帰ることで、不可触民差別を解消し、地位向上へと繋げることができる
  • 不可触民差別は、ヒンドゥー社会の構造的問題でなく、人間のモラルの問題

ガンディーは不可触民問題で、不可触民の指導者アンベードカルと対立した際に、たびたびハンガーストライキをし、アンベードカルの妥協を半ば脅迫的に引き出す手法を用いています。

アンベードカル不可触民問題で、ガンディーに妥協をする結果となることが多かったのですが、後に「妥協はすべきでなかった」と述べています。

2.不可触民問題解決のために:ハリジャン奉仕者団設立

ハリジャン奉仕者団(Harijan Sevak Sangh)は、1932年にガンディーによって設立された反不可触制連盟を前身組織としています。

この組織の活動目標は、2つ挙げられています。

  1. 不可触民への道路、学校、、井戸、ガートの解放
  2. 一般に開放されているヒンドゥー寺院への、不可触民の礼拝を容認

この2つを達成するために、それをヒンドゥーの人々へ平和的説得をもって理解してもらうことが、唯一の手段だとしています。

そして1935年、ハリジャン奉仕者団と名前を変え、次のことを確認しています。

  • 再生族(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ)の人々が、ハリジャンを自身の兄弟と同様に認識できるように、根本的な変化を起こすことがこの団体の目的
  • カースト制度の廃絶や、カースト間の共食などの推進は求めない

ガンディーにとって不可触民差別は、ヒンドゥー社会のモラルの問題と考えており、それを糺すのは不可触民自身でなく、ヒンドゥー社会の人々だと考えました。シュードラが入っていないのは、シュードラもまた、ヒンドゥー社会のモラルの問題で不当な扱いを受けてきたと考えたためです。そのため、ハリジャン奉仕者団の中枢メンバーに不可触民などはおらず、排除された形になっています。

ガンディーが不可触民を指す言葉として、新たに用いた「ハリジャン」という言葉があります。元来「神への帰依者」という意味で使われていた言葉で、ガンディーはそれに不可触民という意味も加えることで、不可触民の「穢れた」イメージの払拭を考えたといわれています。

この頃から、不可触民自身も自らを指す言葉として「(被抑圧者)」や「外縁カースト(exterior)」などと呼び始めています。

さらに植民地政府も、場面に応じてさまざまな用語で、不可触民を表現しています。

ガンディーは、「不可触民」のような差別的思想などに基づいた言葉から離れる必要があると考え、「ハリジャン」という語を用いたということです。そうすることで、ヒンドゥー社会全体の善意、意識改革の必要性に訴えようとしました。こうしたことを踏まえ、不可触民差別問題の解決に向け、ガンディーはインド各地を周り、啓蒙活動を行っていきます。こうした活動は、ハリジャン奉仕者団が中心となって行われて行きました。

ガンディーの考える不可触民差別の解決には、カースト制度やヒンドゥー文化の改革は必要ないと教え、必要なのは人々の意識を変えることだとしたため、ヒンドゥー保守派の多くも支持者となりました。こうしたガンディー運動の成果もあり、現在のインドでは、不可触民差別は良くないことという認識は広まっています。

しかし、アンベードカルが主張したような、被抑圧者のための優遇措置には反対し続けた事実もあり、不可触民問題におけるガンディーの評価は分かれています。そして現在も不可触民に対する差別、暴力は残り、多くの人々が被害に遭っています。

3.ガンディーのハリジャン(不可触民)奉仕者団のまとめ

不可触民問題において、政治家としてのガンディーは、インドを一つにまとめるために、アンベードカルをリーダーとした不可触民に妥協を迫り、勝ち取ったといえます。そして、インド独立期に最重要の活躍をしたと評価されています。

ただ、私がインドの問題に最初に興味を持ったのが不可触民であったため、ガンディーの不可触民への対応をみると、個人的には疑問ばかりが残ります。不可触民問題は良くない慣習との認識を多くのインド人が持ちながら、都市部においても不可触民差別が根深く残っています。

不可触民問題が少しでも改善されることを願って、今回の記事を〆たいと思います。

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LeTはパキスタン国内に6か所の軍事拠点を有し、2200人の構成員を抱えているといいます。