不可触民の国を建国!?:ダリット・パンサーズの運動

不可触民の国を建国!?:ダリット・パンサーズの運動

1970年代後半、被差別民である不可触民の国を建国しようと要求した運動があったことをご存じでしょうか?

今回は、不可触民の国「ダリトスタン」建国を要求した、・パンサーズについてみてみようと思います。

1.ダリット・パンサー誕生当時の被差別民のための政党・インド共和党

1957年、不可触民解放運動の偉人として知られる、の遺志を継ぐ形で作られたのが、インド共和党です。

この政党は、不可触民のみならず、インド社会における被差別階層の解放を目的とする政党でした。

しかし、政党内部で権力闘争が起こり、互いの利権を争い、被差別民のために動くということは減っていったといいます。そうした状況は、支持者の間でも広まり、支持を減らしていきました。

そこで、そうした状況に反発する運動として、ダリット・パンサーが誕生します。

2.ダリット・パンサーズ

1970年代以降に盛り上がった、不可触民差別に対する反対運動、政党として、マハーラーシュトラ州を中心に活動した「ダリット・パンサーズ」というものがあります。このダリット・パンサーズは、アメリカの黒人解放を目指した組織「ブラック・パンサーズ」を参考に、抑圧されたという意味をもつマラーティー語の「ダリット」を組み合わせ、名付けられました。

ダリット・パンサーズは、1972年ころから文学作品、社会批判などを通じて、不可触民を巡る社会状況の告発を始めます。その後、1973年8月14日、マハーラーシュトラ州議会へのを契機に、この運動は知名度を上げていきます。この時のデモでは、ダリット・パンサーズのメンバーが州議会を取り囲み、被差別民の現状への抗議の声をあげ、注目を集めたといいます。

同11月に公表された綱領では、ダリットの定義を「指定カースト(SC)、指定部族(ST)、仏教への改宗者(不可触民の改宗者が多かった)、労働者、土地のない農業労働者、貧農、女性、政治・経済・宗教的に搾取されているすべての人々」とし、被抑圧者であるとしました。ダリット・パンサーズの政党としてのマニフェストは、カーストのない世俗社会を訴え、インドの社会・政治体制変革のために、被抑圧者(ダリット)による全面的革命を求めています。

ダリット・パンサーズの指導者たちは、被差別階層の政党として活動してきたはずの、従来の政治指導者たちが、「すべての被抑圧者たちを結束させ、共に地位向上を目指す」という思想を裏切った、と批判をしています。だからこそブラック・パンサーズは、従来の政治に捨てられた人々を救うための運動であると、主張したのです。

そしてダリット・パンサーズは、インド独立当時、不可触民解放運動に心血を注ぎ、インド憲法の草案を作成したアンベードカルを支持し、インドには社会主義が必要であるとしています。逆に、インドの共産主義者に対しては、かれらが「経済的平等を主張しながら、社会的平等を省みることがなかった」と断じ、ダリット・パンサーズは批判的立場をとっています。

ダリット・パンサーズは、カースト制度を壊そうとする革命政党、左翼政党を「友」であるとしていますダリット・パンサーズは、最大約25,000人の党員・活動員を擁していました。主な活動としては、ダリット・パンサーズ以前の政治的不可触民カーストのリーダーが標的となり、デモが行われています。従来の「被抑圧者のための政党」を謳っていた政党への失望もあり、ダリット・パンサーズの支持は広がっていきましたが、運動は次第に、攻撃的・暴力的となっていきます。

その背景には、従来の政治指導者への諦めや、不可触民への暴行の増加などがあげられています。

3.ダリット・パンサーズの衰退

1970年代半ば、ダリット・パンサーズは多くの自治体に支援者を抱え、人々の間に浸透したように見えましたが、1970年代後半になると、内部分裂を繰り返すようになります。

その理由として、以下のようなものが挙げられます。

①路線の不統一

被抑圧者全般の解放を掲げていましたが、その中心人物はマハールカーストネオ・ブッディストで、アンベードカルの信奉者でした。

この運動がネオ・ブッディストであることを次第に強調し始めたため、他の不可触民は反発したといいます。

②リーダーの権力への依存

従来の政党同様、当初は被抑圧民のための政治を目指しましたが、次第に政治権力が強まり、権力への欲に陶酔する人が現れ始めました。

その結果、リーダー間の対立を生み、内部分裂していったといいます。

③運動の過激化

運動の過激化に伴い、従来は支持していた上位カーストの人々が離れていきます。

1978年に発生した暴動では、ターゲットがダリット・パンサーズとなっており、他の不可触民は狙われなかったといいます。それだけダリット・パンサーズの過激化は、人々の反発を生んでいたということです。

その後、ダリット・パンサーズのいくつかのグループが「ダリトスタン(ダリットの国)」の建設を要求し、州知事に「インド市民権放棄書」を提出します。ダリット・パンサーズのリーダーたちは、自身たちの境遇故に、こうした要求も当然だと考えていました。

しかし、1978年の暴動で狙われて以降、社会の反発を恐れ始め、「ダリトスタン」は建国とは違うなどと、あいまいな態度をとるようになります。こうした中途半端な動きは、ますます周囲から見限られるきっかけとなりました

4.不可触民の国を建国!?:ダリット・パンサーズ

今回紹介したダリット・パンサーズの実際の影響力は、地域限定的なもので、その流行も短いものでした。

ただ、「ダリットの国(ダリトスタン)」の要求はおもしろかったので、今回紹介させていただきました。また興味深い運動などがあれば紹介します。


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