改宗は死!?インドで起こったイスラムからヒンドゥーへの改宗運動

改宗は死!?インドで起こったイスラムからヒンドゥーへの改宗運動

イスラム教徒の行動を縛る、イスラム法というもの存在をご存知でしょうか。様々な罰則が定められているイスラム法において、もっとも重い罪の1つとされているのが「棄教」、イスラム教からの他の宗教への改宗です。その罰は死刑と定められています。

今回は、そのイスラム法における「棄教」と、19世紀後半からインドで起こった、イスラム教徒をはじめとした、外来宗教信者へのヒンドゥー教への改宗運動を見ていきます。

1.イスラム法上の棄教

イスラム法では、イスラムから他宗教への改宗は原則「死刑」と規定されています。イスラムの聖典『コーラン』では、信教の自由を説いており、他宗教への改宗に、現世における処罰は規定していません。

しかし、預言者ムハンマドの言行録である『ハディース』では、イスラムからの改宗者をスパイとみなし、死刑とした事例が載せられています。そのため、これを根拠として、イスラムから他宗教への改宗者に、死刑の罰がくだされることになったのです。

スンナ派の一派であるハナフィー派とシーア派では、女性の他宗教への改宗は、終身禁固の刑でよいと考えられています。しかし、保守的なムスリムたちは、死刑が妥当であると考えています。

ただし、例外として特別な場合、他宗教による侵略と強制改宗や、相手を欺くためなどにおいて、偽装の改宗を認めるイスラムの宗派もあります

このような、ムスリムから他宗教への改宗者への、厳しい処罰が課せられることは、非イスラムの人々の間で厳しく批判されています。

トルコのように、イスラム法の訴求力の弱いとされる国では、改宗者への処罰は稀なようです。しかし、親族にとっては汚名を着せられる形となるので、「私刑」という形で罰を与えられてしまうケースも報告され、イスラム出身の改宗者を守る人権団体は、欧米を中心に活動をしています。

次の項では、インドで19世紀後半に起きた、イスラムをはじめとした外来宗教からヒンドゥー教への改宗運動を紹介します。

2.インドで起きたイスラムからヒンドゥーへの改宗運動

19世紀後半、インドで起きた、イスラム教やキリスト教などの外来の宗教から、ヒンドゥー教への改宗を求める運動を、シュッディ(Shuddhi)運動と呼びます。

シュッディはサンスクリット語で「浄化」を意味し、ヒンドゥー教からいったん離れ、ヒンドゥー教へ再び戻った人を指す言葉となっています。

ヒンドゥーから離れ、他宗教の中で「穢れ」た人々を「浄化」し、ヒンドゥー教へ戻すということのようです。

こうした運動が展開された、当時の社会背景を簡単にみていきましょう。

2-1.当時の時代背景

19世紀半ばの以降、締め付けが厳しくなったイギリスの植民地統治のもと、インド人は自身のアイデンティティを求める運動を起こしていきます。こうした運動は、のちにインド全土への広がりをみせ、独立へ向けた大きなうねりとなっていきます。

19世紀後半、当時は、ヒンドゥー教の再定義や古代聖典などを再解釈する復古主義が流行していました。

そうした運動の中で、ヒンドゥー教の再評価が行われ、インド人として失われていた自文化への誇り・アイデンティティが再構築されていくことになります。

こうした運動は「ヒンドゥー社会改革運動」に分類され、インド各地で様々な思想を基に展開されて行きます。

シュッディ運動も、そうした文脈で生まれた運動の1つです。

2-2.シュッディ運動

シュッディ運動は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アーリア・サマージという団体によって主導された、イスラムやキリストといった外来宗教から、ヒンドゥー教への改宗を進める運動です。同団体は、西欧列強からの圧力と、キリスト教やイスラム教といった外来思想の流入によって、インド伝統文化・思想が破壊される、されたとの危機感から、生まれました。

かれらの運動は、ボンベイをはじめ、パンジャーブ州、ウッタル・プラデーシュ州を中心に、大きな影響力をもち、人々の教化活動が行われました。よって立つ思想としては、ヒンドゥー古典の再研究・再定義によるヒンドゥー復古主義といえます。

同団体のスローガンは、インド古代聖典である「ヴェーダに帰れ」というもので、イスラムの侵入以降、様々な外来思想の流入により失われた、ヒンドゥー教本来の姿を取り戻そうというものです。ヒンドゥー教には、キリスト教の「聖書」やイスラム教の「コーラン」のような権威をもつ宗教聖典はなかったため、ヴェーダをその位置にもっていこうとしました。その運動の1つとして、シュッディ運動が展開されました。

このシュッディ運動が始まったのは、当時、イギリスなどから派遣されていたキリスト教宣教師による、ヒンドゥー教からキリスト教への改宗運動がきっかけといいます。貧しいヒンドゥー教徒を、宣教師たちが面倒をみることで、多くのキリスト教への改宗者を出していました。

ヒンドゥー社会では、多くの人々が固定化されたカースト制度により、貧困にあえいでいたため、他宗教への改宗者を出しやすい環境であったといえます。そうした外来宗教への改宗者を、インド社会に取り戻すということが、モチベーションになっています。

イスラム教も、キリスト同様の外来宗教の1つとして、同団体によるヒンドゥー教への改宗のターゲットとなっています。当時のインド社会のムスリムは、多くの人々が支配権を奪ったイギリス政府に反発し、植民地経済への参入が遅れたため、全体的に貧しい暮らしを強いられることが多かったといいます。アーリア・サマージの人々は、そうしたイスラムの貧困層への改宗運動を働き掛けていくこととなります。

しかし、当時のインド社会におけるムスリムも、ムスリムとしての強いアイデンティティを基にした運動が盛り上がりをみせ始めた時であったため、アーリア・サマージのこの運動は、ヒンドゥー社会とイスラム社会の火種となる側面もありました。イスラム社会で忌避されている他宗教への改宗を、ヒンドゥー教徒が大手を振って扇動していたことは、多くのムスリムにとって許せないことであったためです。

ヒンドゥー教徒への集団改宗への儀式を盛大に行った際には、ムスリムとヒンドゥー教徒の衝突がしばしば起き、死者を出すこともあったといいます。

キリスト教からヒンドゥー教への集団改宗もありましたが、大きな混乱が起きることはなかったといわれています。

3.改宗は死!?インドで起こったイスラムからヒンドゥーへの宗教改宗運動のまとめ

今回の記事は、イスラム教にとっては=死という、刺激的な言葉を見たのがきっかけでした。シュッディ運動は、インド史の中でも知名度は低いので、知らない人がほとんどだったではないかと思います。

ただ、インドの歴史の中で、キリスト教からヒンドゥー教への改宗運動は何度も起きているのですが、イスラムからの改宗運動は記憶になかったので新鮮に感じました。

また、興味深いインド関連の宗教のルールなどがあれば、紹介させていただきます。

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親によって売られる、または誘拐されて売られるということが多いようです。
部族民の多くが貧困層となっており、その貧困問題は、この州の特徴ともなっています。