用語解説:コミュナリズム

用語解説:コミュナリズム

インドの新聞などを読んでいると、ムスリムとヒンドゥー教徒の衝突や暴動などの記事を目にすることも度々あると思います。そうした記事の中でよく登場する用語がCommunarismです。

あまりポジティブな意味で使われることの少ない言葉ですが、現在のインド社会を考える際には、重要な要素となっています。

そこで今回は、コミュナリズムという用語の説明から、インドが抱えるコミュナリズムの問題、事件などをみていきます。

1.コミュナリズムって何?

コミュナリズムはイギリス植民地期に、イギリス人によって作り出された用語で、インドの宗教対立の大きな障害になっていると考えられています。

一般的にコミュナリズムは、地域、言語、職業、など共通の利害で結ばれている社会グループが、自分たちと「他者」を区別し、自身の特殊性や優劣を強調するイデオロギーのことを指します。

インドという文脈でコミュナリズムは、ヒンドゥー教徒とムスリム、両コミュニティの関係において使われることが多く、それぞれの宗教がそれぞれのコミュニティのアイデンティティを固定化するイデオロギーを意味し、さらに両者の対立や紛争の意味ももちます。

しばしば起こるイスラム以外の宗教とヒンドゥー教徒の対立が起きた時や、カーストの対立が起きた時にも、ニュースなどでこの用語が用いられます。

2.植民地下のヒンドゥー教徒とムスリム

インドの広大な地域では、ヒンドゥー教徒とムスリム両コミュニティが随所に混在しています。こうしたコミュニティの混在は、イスラム侵入後の13世紀ころからといわれていますが、おおむね平和的共存がなされてきました。イギリス植民地時代以前は、いわゆるコミュナリズムといえる概念は薄かったといえます。

しかし、イギリス統治以降、政治的にコミュナリズムが形成されて行きます。

イギリスの統治下において、ムスリムは他の宗教に比べ、イギリスへの反発からその力を取り込むことに遅れ、地域によっては経済的に遅れをとるコミュニティがあらわれはじめました。ムスリムは全体として、植民地政府のもと管理された官吏、医師、弁護士、教師などの、中間層への参入が遅れたといわれています。こうした状況が、「不当な扱いを受けている」ムスリムとしてのコミュナリズムを育む要因となったといいます。

イギリス政府支配下で、コミュナリズムが形成される一番の要因としてあげられるのは、住民を「ヒンドゥー・インディア」と「ムスリム・インディア」などのように区別したことです。さらに政府は、植民地行政に宗教別のコミュニティの区分を設け、民族運動が起こり始めると、両者を分断させる分割統治政策を強化していきました。

政府による分断政策としては、ムスリム政党である全インド・ムスリム連盟設立の後押しや、モーリー・ミント改革などが知られています。

1909年のモーリー・ミント改革では、宗教別分離選挙制度が導入され、それぞれの宗教の利益の最大化を目指す政治家が大量に生まれたため、そうした意味でもコミュナリズムの問題は顕在化していきました。各地でヒンドゥー・ムスリム間の衝突が散見されるようになっていき、両者の溝は広がっていくことになります。

そして1940年、全インド・ムスリム連盟は「2民族論」に立ち、ムスリム国家であるパキスタンの建国を決議しました。こうした動きが、宗教間の対立をより著しいものへとしていきます。

ヒンドゥー教徒の動きとしては、ヒンドゥー大連合(1915年設立)や民族義勇団(RSS、1925年設立)がヒンドゥーの優位性を主張し、インド人のナショナリズムを煽りました。ネルーをはじめとした国民会議派のリーダーたちは、「1つのインド」という立場をとりますが、ムスリムのための政治を主張するムスリム連盟との関係は悪化していきます。

こうしたコミュナリズムの動きは、植民地期の民族問題や民族運動に宗教的対立を与え、コミュナル紛争と呼ばれる、ヒンドゥーとムスリムの対立を引き起こしました。

対立が深まる中、1946年8月、ムスリム連盟の呼びかけにより、カルカッタでムスリムによるヒンドゥーへの抗議の集会が呼びかけられます。しかし、これに集まった人々が暴徒と化し、ヒンドゥーとムスリムの衝突が起き、約4000人の死者を出したといいます。この事件をカルカッタ大虐殺といい、パキスタン分離独立の動きが加速する大きなきっかけとなりました。

3.独立後のコミュナリズムと対立

独立後のインドは、セキュラリズム(政教分離主義)をとり、憲法においても特定の宗教に、優遇的な地位を与えていません。しかし、コミュナリズムによる対立は残り、「1つのインド」への道は依然として険しくなっています。

特に80年代以降、ヒンドゥー至上主義を掲げる、RSSを支持基盤とする国政政党BJPが躍進し、ヒンドゥー民族主義に勢いがつきます。

そうした状況下、インド各地でコミュナル紛争が起きていきます。

以下、いくつか代表的な例をあげます。

①アヨーディヤー問題

1992年12月、ウッタル・プラデーシュ州、アヨーディヤーでムスリムの礼拝場が、ヒンドゥー至上主義者に扇動された人々によって、破壊される事件が起きました。

その後、暴動に発展し、ムスリムを中心に、約1200人の死者を出しています。

②バブリ・マスジッド事件

1992年12月~93年1月、マハーラーシュトラ州、ムンバイでバブリ・マスジッド(ムスリムの寺院)が、ヒンドゥー至上主義者によって扇動された人々によって、破壊される事件が起きました。

この暴動による死者は、約900人だといわれています。

③グジャラート暴動

2002年2~3月、グジャラート州でをしたヒンドゥー教徒が乗った電車に火を付けられ、58人の死者を出す事件が起きました。

その後、地元の新聞で、イスラム教徒がヒンドゥー女性をさらったなどのデマ記事が書かれ、一気に暴動が拡大し、多くのムスリムコミュニティが襲われました。

この暴動による公式の死者は、約1300人となっています。

④デリー暴動

2020年2~3月、デリー北東部にあるジャフラバードで、政府の法案に反対するムスリム女性による座り込みが行われ、それをヒンドゥー至上主義者たちが強制排除しようとする暴動が起きました。

この暴動の主な死者はムスリムで、計53人が死んでいます。

4.用語解説:コミュナリズムのまとめ

インドでは毎年のように、コミュナリズムに起因する衝突が起き、死者が出る暴動にまで発展するケースがあります。

現在のインド社会で影響力を増しているヒンドゥー至上主義が、こうした衝突を扇動するケースも多々あり、問題解決の道筋はみえていません。

また機会があれば、大きいコミュナリズムの暴動などの事例を紹介します。


コミュナリズムは、宗教・カースト・部族それぞれが抱える思想なので、ヒンドゥーだけでなく、ムスリム、シク、不可触民でも燃え上ることがあります。そうすると、暴動・テロが起こることとなります。

事件を起こす件数でいえば、圧倒的にヒンドゥーが多数ですが、人口比を考えると、人口の少ないシク教徒のテロ割合も目立ってきます。

BlogMuraFC2BlogRanking

VISITORS HERE:8,503, HOLI GREEN TOTAL VIEWS : 3,506,282

Tags: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,
Previous(down)/ Next(up)
「ダリトスタン(ダリットの国)」の建設を要求し、州知事に「インド市民権放棄書」を提出します。
国のために英雄的な業績を残した人に与えられるシャヒードの称号を与えられています。