インドの国境問題:中国

インドの国境問題:中国

現在もたびたび起きている、中国インドの国境問題に起因する衝突。日本の領土問題とは異なり、死者も頻繁に生じてしまう、物騒なものになっています。

今回は、この領土問題の争いの種となっている、イギリスが策定した「マクマホン・ライン」から中印国境紛争をみたうえで、現在も領土問題が係争中の地域を展望します。

1.マクマホン・ライン

マクマホン・ラインとは、3月、イギリスとチベットが秘密裏に合意した、イギリス領インド北東部とチベット間の境界線です。この境界線は、イギリスのマクマホンが線引きしたもので、東はディプ峠から、西はタワングをインド側とし、ブータン国境に至るラインです。

第2次大戦後、中華人民共和国はチベットへ侵攻し、滅ぼし、その領土を呑み込んでしまいます。そして、このマクマホン・ラインはイギリス帝国主義の遺産にすぎないと主張し、このラインを基に国境を主張するインドと対立していきます。

中国とインドの国境は未確定となっており、アクサイ・チン(Aksai Chin)領有問題も含め、マクマホン・ラインを改めて協議するよう中国側は求めました。しかし、インド側は中国のラインを改めるとの要請を拒否し、領土問題は確定済みとする姿勢を貫きます。

そして、1962年の中印国境紛争が起きます。

2.中印国境紛争

第2次大戦後、中国大陸を支配した中華人民共和国は、1950年にチベット侵攻を開始し、その後1959年、ダライ・ラマがインドに亡命し、チベット亡命政府がインドに設立されます。これを機にインド、中国は、国境の解釈をめぐる対立が顕在化してきます。

チベット侵攻後、徐々に中国は侵攻を進めていきます。1962年、インドの保護国であったシッキム王国(現インド・シッキム州)にも侵攻し、カシミール地方東部(アクサイ・チン、ラダック)で激しい衝突が起き、中国が圧勝し、その領土の一部を実効支配します。この時の衝突を中印国境紛争といいます。

中印国境紛争後、中国の人民解放軍がアクサイ・チンに侵攻し、実効支配を開始しました。この敗戦以降、インドは中国を「最大の脅威」として認識することになります。

そして、パキスタンもその影響を受け、4月、インドとパキスタンは軍事衝突を起こし、9月には全面戦争へと発展します。この時、中国はパキスタンを支援し、インドは中国を敵対国家として認識し、インド国民の対中感情はさらに酷くなっていきます。

この戦争は、イギリス・アメリカの停戦圧力によって、1966年1月、開戦以前の状況に戻ることで合意しました。

3.現在も抱える中国との係争中の国境問題

中国とインドの間には、世界の尾根といわれるカラコルム山系とヒマラヤ山系が約3200kmにわたって連なっており、領土問題で係争中の場所は、それら山系南部沿いにある、インドでいうカシミール地方となっています。

1962年の中印国境紛争を機に、勝った中国は、インド側からするとカシミール地方東部である、アクサイ・チン(Aksai Chin)を実効支配します。インド側の呼称はラダックで、現在もたびたびこの地域を巡って死者を出す衝突を繰り返しています。

現在、両国の間に確定された国境はなく、双方の主張は平行線となっています。

国境問題に関する中国側の主張は、次のようになっています。

  • 双方の実効支配に基づいて、2つの山系の南に伝統的・慣習上の境界線が形成されてきた。
  • この境界線を基礎に、1954年に中国・インドの間で確認された平和5原則(領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)に従うべき
  • 友好的交渉を基に解決する必要がある

一方、インドはイギリスが決めたマクマホン・ラインにそった国境を主張しており、国境紛争の際に、中国が実効支配した地域の領土権を主張しています。

中印衝突後、両国は事実上の国交断絶までいきましたが、70年代以降、徐々に交流は行われ、1988年のラジブ・ガンディー訪中の際に、国境問題の合同作業グループの設置を決めています。

以下は、現在も係争中の領土問題のある地域です。

3-1.アクサイ・チン

アクサイチン(Aksai Chin)は、新疆ウィグル自治区からチベット自治区にかかる地域で、チベット高原北西部に位置します。

独立後、インドの首相であるネルーは、アクサイ・チンは数世紀にわたってラダック地方の一地域であったと述べています。

しかし、中国側としては、インド側からみるとアクサイ・チンはカラコルム山脈を越える必要があり、アクセス自体が困難であるとみています。

1962年の中印国境紛争を機に、中国が実効支配を行っています。

インド側の呼称はラダックで、領有権を主張しています。

3-2.デプサン平原

アクサイ・チンの地域であるデプサン(Depsang)平原は、1962年の中印国境紛争で、中国が東部を実効支配しています。

インドの実効支配は、この平原の西部のみとなっています。

3-3.アクサイチン周辺の係争地域

デムチョク(Demchok)、チュマール(Chumar)、カウリク(Kaurik)、シプキ・ラ(Shipki La),、ネラン(Nelang)、プラム(Pulam)、スンダ(Sumda)、サン(Sang)、ジャダン(Jadhang)、ラプタル(Lapthal)のほとんどが、インドの実行支配下にあります。

3-4.カラコルム回廊

カラコルム(Karakoram)回廊は、インド・中国が領有権を主張し、中国が新疆ウィグル自治区の地域として、実効支配をしています。

1963年、従来は領有権を主張していたパキスタンは、中国と協定を結び、領有権を放棄していますが、インドは依然として、ラダック連邦直轄地に入っていると領有権を主張しています。

3-5.アルナーチャル・プラデーシュ

アルナーチャル・プラデーシュ州は、ヒマラヤ東部の、インドが実効支配をしている地域です。

インド国境紛争後、支配強化を務めたインド政府によりインフラが整備され、1987年に州として編成されました。

中国は、チベット自治区に属すると領有権を主張しています。

4.インドの国境問題:中国のまとめ

インド人の友人と中国について話すと、大抵のインド人が、中国に悪感情をもっているように感じます。中印国境紛争で良いところなく敗れたことや、インドが領有権をもっていた「はず」の土地を奪われたという意識のある人も多いようです。

私もインドに長くいたせいか、中国が一方的に侵攻して奪っているように思えてしまいますが、中国側の主張としては、マクマホン・ラインに根拠はないということのようです。

次の記事では、中国同様に領土問題を抱え、衝突を繰り返しているパキスタンとの領土をめぐる動きをみていきます。

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