バヌアツ共和国からインドへ

バヌアツ共和国からインドへ

皆様はじめまして。私は現在インドの日本レストラングループで、GMとして勤務います。インド歴は通算4年で、この職場がインドで2か所目の職場です。

以前はインド発の某不動産会社でシニアマネージャーとして勤務しており、前職、現職共に各100名を超えるインド人組織をマネージメントしてまいりました。

これらの経験を基に、「私の実感からのインド人部下との付き合い方」や「インドでがんばる在印日本レストランの色々」を皆様に知って頂き、インドビジネスの楽しみ や、考え方、そして大変さを皆様に知って頂く機会になればと思います。又、その他色々な事で、皆様にインドについて前向きに捉えていただけるようなコラムにしていきたいと考えております。

まず初めに、長いですが私の個性の強い経歴をご紹介させて頂きたいと思います。

日本の大学卒業後、某財閥系企業に就職するも2年で退職。その後単身アメリカに渡り、ニューヨークの日本レストランで5年間シェフとして勤務。

この店が中々良い店だったので、非常に勉強になりました。著名人も度々訪れ、現在のアメリカ大統領、ドナルド・トランプ氏の家族(トランプ氏は来店しなかったが、彼は多分生魚を食べないのではないですかね)、子供のころのイバンカ・トランプさんや、イバンカさんのお母さんだと思うのですが(当時はイバンナさんと呼んでいたが名前ははっきり覚えていません)にも寿司を握った事があります。

又、ダビンチコード、アポロ13などの映画監督 ロン・ハワードさんも、毎週末家族でお見えになっていました。ここだけの話、ロン・ハワードさんには娘が2人おり、上のお姉ちゃんは子供の時に美人でしたので、女優になるんではないかと思っていたのですが、その後、どうなったかはわかりません。どなたか情報をください。

在米4年目にアメリカ永住権を取得し、その後、「アメリカの永住権を持っていると、日本から留学するのと比べて学費が10分の1になる」と言う話を聞き、ニューヨーク州立大学で1年間学びました。

5年間のアメリカ生活を終えて日本に帰国し、実家である大阪の料亭で10年間勤務しておりましたが、42歳の時、

「再び海外に出たい」

との思いが再燃し、家業を放り出してしまいました。

ちなみに私が家業を放り出して海外に出たのは今から9年前ですが、今も大阪にある実家の料亭は兄がしっかりと守っています。

さて、42歳のある時、知人から「バヌアツ共和国」のホテルの求人の話を聞き応募。南太平洋の島国・バヌアツ共和国のリゾートホテルの総料理長として2年半勤務しました。

バヌアツでも現地人との面白い話は沢山あり、日本人とは全く違った価値観に衝撃を受けた事は沢山あります。それはまた今後話すとして、今回は私がインドに来るまでの道のりをざっくりとご説明する為に、バヌアツでの最初と最後の顛末だけをお話しします。現地での生活は充実しており、楽しかった事も山ほどありますので、それは今後お話ししたいと思います。

私がバヌアツに到着後は勤務先のホテルの政治力で現地の新聞に大きく掲載され、

ニューヨークや日本の名店で修業した日本人シェフが来た

ということで、バヌアツ共和国・初代大統領を始め、現職大統領、閣僚の他、同地のフランス大使館やオーストラリア領事館、国連機関様等々から多くのご注文を頂き、忙しくてホテルの中に缶詰めになり、忙しくなりすぎた結果、最終的には「何の為にバヌアツに来たのか」見失ってしまいました。

南半球の小さな島国では、手に出来る材料も限られており、自分の思い通りにならないことだらけで、無力感ばかりが募って行き、最終的には仕事が手に付かず、仕事場には行くがさぼりがちになり、

発展途上の未開の地で、若者たちに料理を教え、彼らの自立に寄与する

という崇高な思いで意気込んで乗り込んだ南太平洋のパラダイスは、今まで先進国でしか仕事をしてこなかった私に「一人では、いくら頑張っても大したことは何一つ出来ない」と言う当たり前の現実を厳しく突きつけました。

元来、発展途上の国、誰も行ったことないような国、誰も行きたがらない様な国で思い切って仕事をしたいと思っている私は(今でもアフリカや、未開の地に憧れています)、これを機に「一度飲食業から撤退し、他の仕事に就く事を決意」しました。

そしてようやく、インドで最初の勤務先である不動産会社にお世話になることになります。

最初にインドで私を雇ってくれた不動産会社には、今でも感謝しています。

業界未経験の当時45歳の新人に「今までそこそこ他業界で組織マネージメントの経験があるから」と、日本人マーケットのトップとして迎えてくれたのでした(当初はもう一人日本人がいましたが、数か月後にはひとり日本人になりました)。

かくして、私のインドでのビジネスがスタートしました。

インドでの仕事は、お客様との折衝や営業活動は大変でしたが、 インド人スタッフとの仕事は、本当に面白いことの連続でした。 これから色々と書いていきたいと思いますが、

「インド人部下との仕事は、我々日本人にとって楽しいものです」

楽しくなるコツもありますので、次回からこれは一つずつ書いていきたいと思います。

私が楽しいと思って、インド人スタッフと共にビジネスを追い求めた結果、入社した時には70数名だった同社社員数も、私が退社する時には倍の150名にまで成長し、インド以外の海外にも出店しました。インドビジネスのダイナミックさを体感した2年間だったと思います。

楽しみながら思い切って仕事をできる土壌が、インドには確実にあるのです。

しかしながら、私の最初のインド生活も、大気汚染と共にピリオドを打ちます。当時、余りにもひどかった大気汚染のせいで、体調を崩してしまいました。今考えると肺がやられたのだと思います。皆さんもくれぐれも気をつけてください。

インドで勤務開始丸2年辺りから、体調が悪く、一日中だるい日が続きました。これは仕事に支障をきたすと思い、休みの日は一日中安静にして寝て過ごします。しかし、次の日も良くならないのです。

「これは自分の体内で、何かがおかしくなっている」

と思い、思い切って3日ほど休みを取り、3日3晩安静にして寝続けました。1日18時間寝ても、次の日の日中、眠くなるようになりました。

そこでようやく自分でわかったのです。「これは肺がやられているから、肺から体や脳に酸素がいっていないんだ」と。当時の私は、このままでは死んでしまうと思い、すぐに会社を辞める方法を考えました。ただ「体調が悪い」と言っても、会社は「病院に行って、入院すれば治る」と休暇をくれるでしょう。

でも私は「インドから出ないとどうしようもない」と思っていたので、急遽「妻の持病が重篤になったから」という強引な理由をつくり、急いでインドの大気汚染を逃れ、日本に帰ったことを覚えています。前勤務先には今でも、申し訳ないことをしたと思っています。

しかし、やはりきれいな空気の日本で2か月も暮らすと、 体調は良くなりました。

さて、体調が復活すればこちらの物だと、日本にいる妻子のことなど考えることなく、体調を整えた上で新たに海外で仕事を探し始めたのですが、すぐにインドに戻るのはやはり大気汚染の関係で怖かったので、以前から誘ってくれていたバンコクの日本食レストランへ行くことにしました。

これは私の主観で、誤解があったら申し訳ないのですが、バンコクはもう日本と同じで何不自由なく生活できるし、簡単に言えば、「自分でビジネスを持っていないと面白くない」又は「タイの女性に興味がないと、何も面白くない」場所だと感じました。

私は常に、現地人と共に末端の生活からスタートし、何もない中から自分で得た収入でお金を貯めて、自力で成功していくためにどうするかということを考えています。そして自分の生活の中で思ったこと、自分と関わった人たちの考え等々を見極めて、その国が自分にとってよい国であるかどうかを判断するのです。が、私にはタイの人々が、とんでもなく拝金主義で、権威に弱く、そのくせ自分の物を守る意識は強いように見え、いろんな意味で「日本人はカモにされてるなあ」と感じざるをえませんでした。

タイに行くまでは、タイで自分の事業を立ち上げようかと思っていたのですが、
その時の私はタイ人を信用する事ができず、2年半過ごしたバンコクでの事業
立ち上げはやめて、再度インドにチャレンジすることにしました。

とはいえ、バンコクもアジアの拠点としての魅力は十分にあります。タイバーツ高で昨今は高物価になっていますが、今後、できればバンコクについても触れていく機会があればと思っています。

インドで再チャレンジすると決めた後、縁あって今の職場に来たのが今から約2年前です。

今は改めて、素晴らしいオーナー、スタッフとともに、色々問題の多いインドでのビジネスに必死で取り組んでいます。私が以前、インドの会社で勤務していて大変だったことを思い返し、たとえ少しでも在印日本人の皆様に、美味しい食事や安心できる場所を提供させて頂けるよう、これからも全力で取り組んでいきたいと思っています。

インド人と働く上で、大変なことも多々ありますが、一つずつ乗り越え、次回からのこのコラムを通じて皆様と情報を分かち合い、今後皆様がインドで働く上で、少しでもお役に立てることができれば幸せです。

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