不可触民の仏教改宗運動⑥:その後の仏教改宗運動

不可触民の仏教改宗運動⑥:その後の仏教改宗運動

前回の記事では、アンベードカルの考える仏教観、仏教への集団改宗の様子を中心に紹介しました。彼の行った仏教改宗運動による改宗者は、一般的に「新仏教徒」と呼ばれ、従来の仏教徒とは分けて認識されてしまっています。「新仏教徒」の実態は、マハールを中心とした不可触民仏教への改宗であったためです。

今回は、集団改宗を経たアンベードカルの言葉と、その後の仏教改宗運動の推移を中心にみていきます。

1.集団改宗後のアンベードカルの言葉

アンベードカルは、インドの仏教が衰退した理由を、多くの在家信者の未組織化にあると考えました。そのため彼は、仏教への改宗の際に出家し、一定の儀式が行われる必要があるとしています。

仏教の戒律の遵守を宣誓する儀式も行われ、その宣誓の多くがヒンドゥー教の拒否からなっていることは、アンベードカルらしさと言っていいのでしょう。

集団改宗後、アンベードカルは、仏教とヒンドゥー社会に対して、次のように述べています。

①ヒンドゥー社会が不可触民の集団改宗に反対した理由

ヒンドゥー社会は、ヒンドゥー文化で不浄とされる仕事を強いられてきた不可触民が、その仕事を放棄することを恐れている。

そのため、改宗により不可触民は収入源を断たれるといったように、不安を煽り、ヒンドゥー社会は集団改宗の邪魔をしようとしてきた。

改宗後の不利益への対処はできており、敵対者の声に耳を貸してはいけない。

②ヒンドゥー社会へ隷属してきた不可触民の解放

不可触民が、悪魔的なヒンドゥ―社会に抑圧され続ける限り、希望はないため、仏教への改宗は地獄からの救済となる。

ヒンドゥー教とカースト制度が、全インドの人々にとっても有害であることは、外国勢力からの支配を、歴史的に繰り返し受けてきたことから明らかである

カースト制度がインド人を分割し、団結を不可能とさせてきたためだ。

そのために、国が弱体化してきたのだ。

③なぜ改宗までに時間がかかったのか

宗教は人間にとり、最も重要な問題であるため、人々を教化し、仏教の教義に従った生活へと導くのには、長い時間を要した。

これには、重大な責任を伴うためだ。

④仏教への改宗理由

宗教は、人々に人生の希望を与える。

仏教の基礎は理性であり、仏教の主な目的は、人々を苦悩から救うことであるため、現代人にも受け入れやすく、世界最高の宗教といえる。

⑤世界平和に不可欠な宗教としての仏教

仏教はその思想から、世界平和に不可欠な宗教といえる。

仏教徒へと改宗した者たちは、自身の解放だけでなく、インドと世界の向上のために戦うべきである。

そのため、常に尊敬を受ける生活を送るべきで、仏教を広めるためには、皆の継続的努力が必要なのだ。

⑥仏教への改宗儀式の解放

すべての仏教徒は、ブッダが弟子に認めたように、仏教徒なら誰でも、他人を仏教徒へ改宗させることができると認識し、仏教普及のための運動を巻き起こそう。

こうして、不可触民カーストマハールを中心とした、仏教改宗運動のさらなる拡大を、アンベードカルは期待しました。

2その後の.新仏教の推移

集団改宗が行われた2カ月後、かねてより体調を崩していたアンベードカルは、急死します。そのため、その後の仏教改宗運動は、マハールカーストの成員に引き継がれることとなりました。

当初は30~60万人であった新仏教徒は、1961年の国勢調査での仏教人口は325万人となっています。前回51年の国勢調査では18万だったため、その人口が飛躍的に伸びたことがわかります。その後の1991年の国勢調査では750万人となり、順調にその人口を伸ばしています。

しかし、最新の2011年の国勢調査では840万人となっており、仏教改宗運動はカーストの壁に阻まれ、近年は伸び悩んでいるといわれています。マハールカースト以外のカーストからの仏教への改宗者は、少ないためです。

アンベードカルが晩年に書いた『ブッダと彼のダンマ』は、今日の新仏教徒のバイブルとして、広く読まれています。そこで説かれる教理の多くは、パーリ語(上座部仏教の経典で使われる言語)の仏典から採用されており、そこにアンベードカル独自の解釈が加えられています。それは全体として、社会改革的な意味合いが強い、理論書としての性格が強いものとなっています。

現在の新仏教徒の組織は、いくつかに分かれており、いずれの宗派においてもブッダとともに、アンベードカルは崇拝の対象となっています

この新仏教徒に対する、ネガティブな要素もあります。

現在においても、インド社会では不可触民への偏見が根強く残っているため、新仏教徒=不可触民とみられることが多く、差別的扱いを受けることが多く起きています。新仏教徒は、不可触民マハールカースト出身が多いということは、インド中に広まっているためです。

この点は、アンベードカルが危惧したことなのでしょうが、今後の社会意識の変化に期待するしかありません。

3.不可触民の仏教改宗運動⑥:その後の仏教改宗運動のまとめ

今回で、一連の仏教改宗運動の記事は終わりになります。アンベードカルが戦い続けた、インド社会にはびこる不可触民差別という高い壁は、現在も厳然(げんぜん)とそびえたっています。

私がアンベードカルの一連の動きで一番興味をもったのは、ガンディーとのやり取りです。アンベードカルがガンディーに対して投げかける言葉は、罵りに近く、こういったガンディーの評価もあるのかと、当時は驚かされました。

「聖人」としてのイメージの強いガンディーも、アンベードカルに取れば、口先だけのカースト・ヒンドゥーの利益誘導者、といった見え方になってしまいます。

ただ、イギリスから独立を勝ち取る先陣を走った指導者という側面からみると、ガンディーの凄さはやはり、ずば抜けていることもよくわかります。機会があれば、ガンディー目線の記事も書いてみたいと思います。

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部族民の多くが貧困層となっており、その貧困問題は、この州の特徴ともなっています。
ことごとく国民会議派に邪魔をされ、思うような成果を出せずにいました。