不可触民の仏教改宗運動④:憲法起草と不可触民

不可触民の仏教改宗運動④:憲法起草と不可触民

前回の記事では、ガンディーの主導した不可触民運動の限界と、アンベードカルがヒンドゥー教を棄てる決意の過程を中心に、紹介しました。アンベードカルの改宗宣言は、ヒンドゥー社会に驚きをもって伝えられ、各陣営が自陣に引き込もうとする動きも起きています。

そうした中、アンベードカルは、政権与党国民会議派政権の初代法務大臣として、不可触民の地位向上のために尽力していきます。

今回は、憲法草案制定の過程におけるアンベードカルの動きと、その後行われる「逆毛婚」と呼ばれる、ヒンドゥー社会で最も忌避される慣習の実行を中心に、紹介します。

1.憲法起草委員会とアンベードカル

アンベードカルは、不可触民の代表として、インド独立後の国体についての議論を行う会議で、以下のことを提案しています。

  • 農業・工業を準国有化した国家社会主義を、議会制民主主義を通して達成すべき
  • 留保議席選挙区では、分離選挙権不可触民に与えるべき
  • その他の選挙区では、カースト・ヒンドゥーとの合同選挙権を、不可触民に与えるべき
  • 不可触民の経済力向上を目的とした農業の一部を国営化をすべき
  • カースト・ヒンドゥーの影響力から離れた、不可触民のための地域(行政区)を設置すべき

アンベードカルは、国民の平等を前提にした国家でなければ、不可触民差別はなくならないと考えています。そして、そのためには不可触民への教育や、機会の平等などが必要だとしました。虐げられ続けた不可触民には、分離選挙が必要で、不可触民のための国会議員が誕生してこそ、権利を主張できると考えたのです。

しかしアンベードカルは、不可触民のみの代表ではなく、国民全体の代表として憲法草案会議に参加したため、自身の主張の妥協をせざるを得ない状況となります。

以下が、彼が妥協し、諦めた主張です。

アンベードカルは、特に分離選挙には強いこだわりをもっていましたが、諦めることとなります。

アンベードカルの主張してきたことで、憲法草案に盛り込まれたものとしては、以下のものがあります。

アンベードカルとしては、形だけの「不可触民制廃止」になることだけは避けたかったため、留保枠や教育の支援などの援助は、絶対に必要であると考えました。

憲法議論が最終段階を迎えていた1948年1月、ガンディーが暗殺され、それを受け、アンベードカルは次のように語りました。

  • 「私の真の敵はいなくなった」
  • 「日蝕が終わったことに感謝する」

本当に嫌っていたことがわかります。

2.インド憲法の成立

1949年11月、憲法制定議会は、人権尊重を高らかに謳いあげた「インド共和国憲法」採択し、翌1月、施行されることとなりました。この憲法は、22篇、395条、9附則からなる世界一長い憲法となっています。

アンベードカルは、憲法の採択に際し、次のように述べています。

  • インドの民主主義を守るためには、憲法に従い、特定人物の英雄崇拝を避け、自由・平等・友愛を確立する必要がある
  • そのため、不平等を強いられる人々が存在している矛盾を解消すべきで、それができなければ民主主義は破壊されることになる
  • その不平等を作るのがカースト制度であり、社会分裂を作り、相互不信や敵対の源となっており、カースト制度を破壊せねばならない

アンベードカルは、憲法成立によって、不可触民差別がすぐに改善されるとは考えていませんでした。そのため、差別を否定する仕組み作りによって、不可触民の教育の支援や、経済的自立を国が後押しする社会を形成しようとしたのです。

その後、1953年に施行される「」は、不可触民差別の罰則化を定めたものとなっています。

3.ヒンドゥー社会で最も忌避される慣習の実行

1948年4月、不可触民出身のアンベードカルは、バラモン出身の女性と結婚をします

通常のヒンドゥー社会の結婚は、同カースト間の結婚が、慣習的に要求されます。

そのため、同コミュニティ内では近親婚となるため、周辺部の村にいる同カーストとの結婚が、広く行われていました。

そうした同カースト間の結婚が、すべてのカーストに定められていますが、例外的に認められたのが、男性が上位カースト、女性が下位カーストからなる結婚です。

こうした結婚は「順毛婚」といわれ、多額のダウリー(持参財)を男性側親族に渡すことで、行われることが多くありました。多額のダウリーと引き換えに、女性の親族の社会的地位が向上すると考えられたためです。

その逆の、女性が上位カースト、男性が低位カーストとなる結婚は「逆毛婚」と呼ばれます。これは、ヒンドゥー社会で最も忌避される慣習として、インド社会で認識されているものです。

不可触民の解放のためには、カースト制度の破壊が必要であり、そのためにはカースト内婚の慣習の破壊が必要であると、従来から主張してきたアンベードカルは、それを自ら実行したことになります。

この逆毛婚をしたということは、改宗の目途がついており、ヒンドゥー社会への決別の意味もあったのかもしれません。アンベードカルは改宗に向け、動きを活発化させていきます。

4.不可触民の仏教改宗運動④:のまとめ

憲法制定の過程における、アンベードカルの尽力は凄まじく、不可触民の地位向上のための文言を入れることに心血を注ぎました。ただ、会議派の壁は厚く、妥協をせざる得ないこともあり、さぞ歯痒かったのだろうと想像してしまいます。

そして憲法制定後、自身の行ってきた不可触民の地位向上に限界をみたアンベードカルは、いよいよ仏教への集団改宗へと本格的に動いていくことになります。

次回の記事では、アンベードカル仏教観と、仏教への集団改宗を中心に取り上げます。

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ことごとく国民会議派に邪魔をされ、思うような成果を出せずにいました。
ヒンドゥー教徒代表者集会で、不可触民差別の廃止と速やかな法制化を決議しました。