ガンジーとマザー・テレサだけじゃない?インドの偉人3人の紹介

ガンジーとマザー・テレサだけじゃない?インドの偉人3人の紹介

インドの偉人と言うとまず思いつくのがガンジーとマザー・テレサです。

でも、長い歴史を持つインドには様々な偉人が誕生しています。

そんなインドの偉人について、特に知っておきたい人物を3人紹介し、まとめました。

これを読めば、インドにはどのような偉人がいたのかを知ることができます。

インドの偉人1:アクバル(1542年10月15日 – 1605年10月27日)

アクバルは16世紀から17世紀の人物で、ムガル帝国の三代目君主です。

アラビア語で偉大と言う名前(アクバル)を冠する人物で、父から受け継いだムガル朝を帝国と呼ばれる大国へと進化させた人物になります。

その実績は大帝という名前が付けられるほどであり、インドでは偉大な君主として知られた人物です。

幼少期はたびたび父フマーユーンの王国が存亡の危機に立たされることがあり、たびたび他の王国の人質になります。

こういった経歴は徳川家康をほうふつとさせる幼少期です。

転機は父フマーユーンが図書館の階段から落ちて事故死し1556年に自身が国王として即位してからになります。

晩年の父がようやくデリーを手にし、ムガール朝の勢力を盛り返してきた時期でもあったのですが、それでも敵対勢力が多く、王国は安定した状況とは言えませんでした。

すぐさまデリーが敵の手に落ち、再び不安定な状況になったのです。

さらに兵力は敵の5分の1という絶望的な状況に陥りましたが、アクバルは勇猛さを発揮し、見事敵の勢力を打ち破り一躍インドに覇を唱えました。

その後も次々と敵の王国や勢力を打ち破り、時に虐殺という残酷な行為を行うこともありましたが、ついにインド支配の実権を手にするのです。

その後もインドの各地で敵を破り、インドに巨大な版図を築く来至りました。

こういった軍事面もさることながら、内政面でも宗教の融和政策(ヒンドゥー教のみならず、イスラム教やキリスト教も認めた)や官僚機構の構築、マンサブダーリー制による防衛力の強化、優れた税制のザブト制を施行すると言ったことも行い、まさにアクバル(偉大な)という名にふさわしい偉人として知られています。

インドの偉人2:チャンドラセカール・ラマン(1888年11月7日 – 1970年11月21日)

ラマンはインドの物理学者です。

インドと言えば数学のイメージですが、実は数学に通じる物理学も偉大な人物を多数輩出しています。

ラマンもその一人で、1930年のノーベル物理学賞受賞者(インドで研究したインド人で初のノーベル賞受賞者)でもあります。

この実績はラマン効果と呼ばれるものを発見したことです。

これは物質に単色光を当てたとき、その散乱光中に照射光の波長と少し違った波長の光が混っている現象のことです。

例えば紫色の光だけを当てたつもりなのによく見ると緑色の光も混じっているという現象になります。

画期的なのは音が物に当たると音の伝わり方が変わるように、光も物に当たると色が少し変わるということを非常に難しい理論で説明したというものです。
これは現在も教科書などに記載されているもので、いかに大きな発見をしたかが分かります。

こういった発見を中心に様々な発見をしたことから、イギリスで王立協会フェローに選出され、本国インドでもインド理科大学院の学長に選ばれるなどインドの科学分野における偉人として現在もたたえられている存在です。

インドの偉人3:ジャワハルラール・ネルー(1889年11月14日 – 1964年5月27日)

ネルーはインドがイギリスから独立した際の指導者です。

インド独立というとマハトマ・ガンジーが有名ですが、ネルーも指導者として有名で、インドの初代首相になるなど実務面で活躍しました。

出自は裕福なバラモン家庭であり、父は弁護士という恵まれた環境に育ちます。
そういった出自から、イギリスに渡り、名門ハーロー校に入学、卒業した後、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを卒業し、イギリスで弁護士の資格を取得するなど裕福な家庭というだけでなく、学業もきちんと行っていた人物です。

1912年には、早くもインドの独立運動に参加しガンジーなどとともにインド独立運動を指導します。

1929年に父モティラル・ネルー(政界に転身していた)から国民会議の議長の座を引き継いだあとは政治家として活動しますが、独立運動の指導者という側面もあることからインドを支配していたイギリス当局によって度々投獄され、その通算期間は10年にも及びました。

第二次世界大戦後は選挙に勝利し、具体的にイギリスからの独立を要求するようになります。

当初パキスタンとの連邦国家を提案していた派閥と対立したことでインドとパキスタンが分離し、それぞれ独立をしたのです。

そして、ネルーは独立インドの初代首相に就任し、ついにインド独立の悲願を達成します。

その後インド憲法の制定を行い政治体制を整備、社会主義と政教分離主義による政治によって近代化を推し進めていきました。

晩年は経済政策に苦しむものの、今でも近代インドの父として知られています。

インドの偉人番外:サスーン家とネルー・ガンディーファミリー

インドの偉人の番外として、サスーン家とネルー・ガンディーファミリーがいます。

これらは個人ではありませんが、サスーン家は、サスーン財閥のことでインド経済に多大な影響を与えている一族です(ちなみにヴィダル・サスーンは異なる一族)。

ユダヤ系なのでインド人とは言えませんが、インド資本として古くから国内外にビジネスを展開し、神戸にもサスーンが所有した住居が文化財として残っています。

ネルー・ガンディーファミリーは最後に紹介したネルーの父から始まる政治一家で現在もインドの政治に大きな影響力を持っている一族です。

ネルーの娘インディラ・ガンディー(ガンジーとは血縁関係はない)は第5代・第8代首相、孫のラジーヴ・ガンディーは第9代首相となるなど一族でネルーを含めて3人もの首相を輩出し、更に現在の当主も政治活動を行っています。

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